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自分のパンツは自分で洗え〜4、そうやって選んでるから駄目なんだよ③
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『田丸さん、オンライン飲み会やりませんか?』
新型コロナウイルスが流行し、外出自粛を求められる鬱屈した日々が続く中、鎌田さんからそんなメッセージが届いた。
『メンバーは三人で、僕と瀧さんっていう男性なんですが、田丸さんご存じですか?』
『名前は伺ったことがあります』
SNSで長年繋がっていると、面識はなくても名前を知っている人は多い。瀧さんは直接のやり取りこそしたことはないが、お互いに名前だけは知っている、そんな人だった。
『こないだ僕と二人で飲んでたんですけど、瀧さん婚活中らしくて。田丸さんのことを紹介したいなと』
『私を、ですか!?』
『気立ての良い娘さんだとお伝えしてます。まずは普通の飲み会としてお話してみませんか?』
鎌田さん、瀧さんともに本州在住で、二人とも離れたところに住んでいる。北海道の私と三人、オンライン飲み会に距離など関係ない。せっかくの機会だからと、私はその誘いを快諾した。
当時、31歳。派遣や契約社員を経て、正社員として医療業界に復帰していた。入社直後にコロナの流行が始まり、職場と家の往復、そして帰宅後の原稿。兼業作家の生活リズムを取り戻すのに時間はかからなかった。
体調を崩してから、長らく恋人がいなかった。二年に一度のペースで『このままだとやばい!』という謎の焦燥感でマッチングアプリに登録するも、やりとりに疲れて交際に至らぬまま退会してしまう。たまに良いなと思う人が現れても、もうこんな年齢だし……と消極的になりアプローチできずにいた。
30歳の焦り期を抜け、31歳は比較的穏やかに過ごしていた。そのため、鎌田さんからの紹介は青天の霹靂だった。約束の時間にパソコンの前に待機し、お酒と軽いつまみを用意して開始を待った。
「……えー、聞こえてますか?」
鎌田さんがカメラをオンにする。続いて私と瀧さんも画面に映った。
存在だけは知っていた、瀧さんの顔を見るのはこれが初めてだ。6歳上の30代後半だが、年々ワイルド味を増して年を重ねる鎌田さんと違い、黒髪眼鏡姿の典型的な文科系男子だった。
お互いに自己紹介をし、お酒を飲みながら雑談をする。瀧さんは東京都在住、大学卒業後は新聞社に勤めているらしい。小説家志望で鎌田さんと交流があり、出版寸前まで進んだことがあるが、大人の事情により破談になった経験があるらしい。
新聞社勤めなら文章力はお墨付きだろう。新人賞の世界は運もあると私は思っている。鎌田さんとは新人賞投稿時代からの付き合いのため、話題の中にも当時の苦労話がのぼった。
共通の話題があれば話も弾む。もとより皆、小説以外にもアニメや漫画など創作物への造詣が深い。オンライン飲み会は創作仲間との飲み会と何も変わらなかった。
瀧さんと私、名前は知っているが接点はなかった。プロフォールしか知らないのはお互い様だ。時折鎌田さんがアシストを入れつつ、約束の時間はあっという間に過ぎた。
「オンラインの時間は長めに用意してるから、あとは若いお二人で」
気立ての良い娘という紹介といい、先に離脱するときの言葉といい、鎌田さんはまるで仲人のようだった。
オンラインの画面に二人で残り、先ほどの話の続きをする。お酒が進んで緊張もほぐれていた。
「田丸さんって、今も北海道に住んでるんですか?」
「そうですね。でも、コロナが流行る前は飛行機に乗ってあちこち旅行してましたよ」
会社から県外を跨ぐ移動を禁止されてから、道外には出ていない。直近だとどこに行ったか……考え、四国旅行の話題を提供した。
「契約社員の仕事が終わったあと、四国を一周したんです。高知のよさこい祭りの時期に合わせて」
「よさこいが好きなんですか?」
「YOSAKOIソーラン娘を出版した時、絶対、高知のよさこいを観に行くって決めてたんで」
『YOSAKOIソーラン娘 札幌が踊る夏』の出版は二作目だった。心身を病んで仕事を辞め、療養中に書き上げた作品だ。デビュー作の売上が奮わず、次を出せるかわからない不安を抱えながらの執筆は病の身に堪えたが、その後の重版のおかげで奇跡的にたどり着けた出版だった。
「それは、続編のための取材?」
「いえ、ただのご褒美旅行です」
二作目の発売から何年も経っている。売上の結果も出せなかったが、YOSAKOIソーラン祭りを題材にした作品などこの世に出せると思っていなかった。三作目もあるかわからない厳しい世界、思う存分書き切ったため、自分でもお気に入りの作品になっているのだが。
旅行などプライベートな話をすると、すぐに「次回作の取材ですか?」と言われがちだ。シリーズ化を見越した連作短編でも、数字が難しければ続編も出ない、そういう厳しい世界だった。
「東京には定期的に行ってるので、次、行くことがあったら瀧さんに連絡しますね」
次作の予定がなくても、私は定期的に上京している。SNSでつながった作家の新刊・重版報告を見ていると、自分のふがいなさに落ち込むばかりだ。北海道で悶々としているより、つながりを残してくれる担当編集に会いに行ったり、先輩作家に話を聞いてもらうだけで気持ちが落ち着いた。
職場の移動自粛令が解除されるまで、本州に行くことはできない。隠れて行っている人もいるのだろうが、そこで万一コロナに感染しようものなら顰蹙の目で見られるだろう。メンタルの弱い私にそこまでの度胸はなく、瀧さんと実際に会うまでしばらくの時間が空いた。
会社の県外移動自粛令が、事前申告制に変わった時、私は長期休暇を利用して東京を訪れた。
瀧さんはマッチングアプリで出会うような「田丸さんは医療従事者だから怖くて会えない」とばい菌扱いするタイプではなかった。感染対策に留意したお店で食事をし、楽しく会話をして解散した。オンライン飲み会同様、創作に関わる人たちとは会話にも困らなかった。
その後、瀧さんとは何の進展もなく、まる一年SNSで名前を見るだけの生活が続くことになる。