
おばあちゃんの口ぐせ
九州新幹線 ”つばめ” に乗り込んだ。
博多で乗り換えて東京までは ”のぞみ” に、そのあとは故郷の青森まで ”はやぶさ” 。
子どもと3人、片道 9時間の旅路につく。
2年半ぶりだろうか。
その知らせは、年が明けて半月経った日の夕方4時半にあった。
「おばあちゃんが、さっき亡ぐなった。」
母からの連絡に「わかった」と一言。
すぐに実家への帰り支度をはじめる。
終始、頭のなかが祖母との思い出でいっぱいだった。
祖母は、生きる知恵にあふれる人だった。
ご近所さんとのかかわり合いはお手の物。
山菜取りにもよく行き、食卓に並んだものだ。
拾ってきたくるみで作る “くるみ餅” は絶品で、すきだった。
そういえば、編み物やお裁縫も得意だったな。
バチン!!
左頬がジンジンした。
走り回って、年下のいとこに怪我をさせた責任がすべてわたしに降りかかる。
叩いたおばあちゃんにムカつき、ひと睨み。
そして部屋まで逃げてベッドに飛び込み、わーわー泣いた。
9歳の思い出。
うわっ!
Tシャツが濡れた。
おどろいた妹が、となりで泣いていた。
わたしは、拳を握って叫んだ。
「クソババア!」
母を悪く言ったことに腹が立ち食ってかかったが、言い過ぎた挙げ句、湯呑みの残り茶をかけられたのだ。
これも小学生のときの記憶。
忘れられない、”おばあちゃんとの闘い” 。
祖母は、気の強い人だった。
(そしてわたしは、ほんとうに生意気な孫。)
16歳で実家を出るまでいっしょに過ごした祖母は、一瞬たりとも老いを感じさせなかった。
それがいつしか、別れ際おこづかいを持たせて、ほほ笑みながらかならずこう言うようになっていた。
「まだ、かえってくるんで。」
出棺のまえの最後、祖母の顔を見てその口ぐせが頭の中によみがえる。
涙があふれでた。
――― ただいま、おばあちゃん。
ことばの重みとは、こういうことでしょうか。
(2025/1/31 記)