きゃん

双極性二型。偏頭痛。過敏性腸症候群。思考整理。カサンドラ症候群、少なくとも私達にそれは起きなかった。

きゃん

双極性二型。偏頭痛。過敏性腸症候群。思考整理。カサンドラ症候群、少なくとも私達にそれは起きなかった。

最近の記事

腎盂腎炎になって死ぬことを覚悟した話

始まりは8/4の午後だった。 唐突な頻尿が始まった。 その日は犬も体調を崩していて、夕方から私が動物病院につれていく予定だったのだが、あまりにもトイレが近いために犬は夫に託して私はトイレに籠もっていた。 ちなみに犬は熱中症だった。 その日のうちに膀胱炎用の市販薬を買ってきてもらい、数日服用したが、飲み終えるとまた悪くなってしまい、3日おいて改めて市販薬を服用し、それでもだめなら病院に行かなければならないなと思っていた矢先の8/14(日)未明、高熱が出た。 午前2時半頃だった

    • 私とネオロマンスと

      私は元々ガチ目のネオロマンサーであった。アンジェは未プレイだが遙かは1−3、ファンディスクまで遊んだ。 4は運の悪いことに忍人が推しだったのにEDを友人から聞いてしまい途中で投げた。4で攻略したのは遠夜だけである。 コルダは1-2、ファンディスクも遊ばせてもらった。そして現在3をプレイ中である。 2010年くらいまではパシフィコ横浜で行われる数々のネオロマイベントにも行っていた。だいぶ気合の入ったネオロマオタクだったのは間違いない。 今回は私がどのようにしてネオロマンスの沼

      • 私の祖母は毒母の被害者だった

        祖母は生きていたら88歳。 お洒落が大好きで、化粧品もデパコスを好み、いつもきれいにパーマを当てたグレイヘアをセットしていた。 祖母はいつも私の味方だった。 それは祖母が母親との関係で辛い思いをしてきたからだった。 祖母の実家は、元々は大きな商家だったらしい。だが、従業員にお金を持ち逃げされ、一気に家は傾いた。 祖母が物心つく頃には、小さな長屋で親子5人肩を寄せ合って暮らす生活だった。 当時、祖母たちは姉妹だった。祖母は次女。元々は長男がいたそうだが、夭折してしま

        • 許さないけど恨まない

          突然だが、私は被虐待児だった。 毒親という言葉がセンセーショナルに取り上げられるようになって久しいが、虐待する親を毒親というのであれば、間違いなく私の親は毒親だった。 教育虐待から始まったそれは、そのうちただの暴力を伴う虐待になって、もちろん物理的な暴力も精神的な暴力もあった。 毒親というと母娘関係が取り沙汰される事が多いように思うが、我が家は25歳で亡くなった末子が難病で入退院を繰り返したり転地療養に赴いたりしていたため母親不在であることが多く、そのぶん父親が母親代わりに

          私がカサンドラになっていない話

          世間的には、いや、マスコミ的には?妻は夫に不満があるのが定説らしい。察してくれない、理解してくれない。大きな長男。わかる。すごくわかる。ただし夫のこととしてではない。自分の父親のこととしてである。(実父は悪い意味での亭主関白) 夫に不満が無い、とは言わない。もちろん夫も私に対して大なり小なり不満はあるはずだ。特に夫の診断前までは、私も夫を異星人のように見ていた。何を相談しても決めることが出来ないし、自分の意見を話さない。夫も、事あるごとに話し合いを持ちたがり、相談したがる私

          私がカサンドラになっていない話