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自分に集中する技術 著者:ジェイ・シェティ 3000文字・7分~9分


自分の内面に足を踏み入れて、自分の内側を旅する。

 僧侶は旅をする。旅といっても、それは、自分の内面に足を踏み入れて、 自信と力にあふれた正真正銘の自己を探し出す旅だ。情熱と目的を探すため に、 わざわざ異国に移住する必要はない。情熱と目的は、遠くの国で発見 されるのを待ちわびている財宝なんかじゃないからだ。きみのダルマはすでにきみの中にある。ずっと前から、きみ自身に織り込まれてそこにある。だから、きみが心を開いて、知ろうとすれば、ダルマは姿を現す。

ジェイ・シェティ. モンク思考―自分に集中する技術 (p.180). 東洋経済新報社. Kindle 版.

 20代前半の時に時間とお金を使って、海外に自分探しの旅に行っていた。そこで自分の弱みとか強みとか、自分のことに没頭し、自分との対話を楽しんだ記憶がある。あの時の自分が1番人生で充実しており、生きている実感があった。
 最近では遠くに行かず、誰にも干渉されない場所で自己の内面をよく‘旅‘をしている。何を考え、何を感じ、その行動について何を思ったか。文章で記録に残し客観的に物事を見れるようになった。僧侶は自己の内面を旅する。深くて難しい言葉だが、ゆっくり咀嚼して、自分の中に当てはめてみたら凄い良い影響がある言葉である。


 他人のしたこと、しなかったことを見るな。自分のしたこと、しなかったことを見よ。

 全神経を、全部の思考のエネルギーを自分のためだけに使う。

「他人のしたこと、しなかったことを見るな。自分のしたこと、しなかっ たことを見よ」(『 ダンマパダ( 法句経)』 第 4 章 50 番)。

ジェイ・シェティ. モンク思考―自分に集中する技術 (p.64). 東洋経済新報社. Kindle 版.

 これも自分の中で大きく響いた言葉で、自分がやったことだけを見て、評価して、考える。他人がやった行動や発言した言葉をいくら考えても、時間が消費してしまうだけで、何時間も思考にへばりつく。今日自分がやったこと、できなかったことだけを考えれば、最善の策に繋がりやすい。他人のことをいくら分析し、考えても永遠と答えは出ない。その人にしか分からないのだから。
 他人がやったことには目をつむり、自分がやったこと、発言した言葉だけを考える。凄い難しいことだが、それをやるだけで有意義な時間が過ごせるようになるのではないか?


 自分が言いたいときに喋りまくるのは、本当の自由ではない。

 覚えておこう。自分の言いたいことを、言いたいときに、言いたいように 言うのは自由ではない。ほんとうの自由とは、好き放題に言いたいという気持ちから解放されることだ。

ジェイ・シェティ. モンク思考―自分に集中する技術 (p.88). 東洋経済新報社. Kindle 版.


 今の仕事をやって、よく思う。自分の意見をとにかく言いたい人って本当に不自由そうに見える。息ができなくなるぐらい自分の言葉でまくしたてて、どうにか自分が発言したい言葉を連発し、溺れている。
 好き放題に言いたいという気持ちから解放される。。。言いたいことをぐっと一度我慢し、この発言をしたら相手にどのような影響を与えるのか?傷つけてしまわないか?むしろ発言しないほうが良いのではないか?そうゆうことかな?
 色んな解釈があって当たり前だが、考えさせられる言葉で。確かに好き放題に発言せずに、一度考えてから話す人や、最小限しか話さない人の方がなぜか好感が持てる。ただただ無口の人や、何も考えてないだけなのかもしれない。しかし必要最低限の言葉で、相手に伝え、コミュニケーションを取る美しさすら感じる。価値観やコミュニケーションの方法など千差万別であり、手話やボディランゲージのみでコミュニケーションを取る人だっている。んー言葉って社会を生きる上で、集団を組織する上では必要だが、現代では言葉や情報が溢れすぎていて、その言葉という媒体を取捨選択するのもその人の価値観であり、その人次第なのかな。

 比較する、愚痴を言う、あら探しをする。

 授業のテーマは「心が患う三つの病─ ─比較する、愚痴を言う、あら探しをする」だった。僕ら修行僧はネガティブな思考習慣について話し合った。うわさ話もネガティブな思考習慣の一つだ。

ジェイ・シェティ. モンク思考―自分に集中する技術 (p.63). 東洋経済新報社. Kindle 版.

 自分も無意識に行ってしまっている。他人の愚痴を言い、自分と比較し、あら探しをしている。その時間程無駄なことは無く、脳みそのエネルギーの無駄遣いである。心が患う3つの病。無意識の内にやってしまっていて、心に悪い種を撒いてしまっている。ストレス解消のように思えて、自分の心に影を落としてしまっている悪い作業の1つである。
 比較する。集団で社会で生活をするにあたり必要不可欠な能力。他人と今の自分の能力を比較対照し、今の自分の行動、立ち位置、考え方は正しいのかを判断する。。。確かに社会で孤立せずにうまく溶け込むには必要な能力である。しかし現代人に足りていないのは自分を昨日の自分と比較することが圧倒的に足りていない。他人と比較するのは簡単であり、批判だけするのはもっとも簡単な手法である。見えやすく、判定がしやすい。しかし昨日の自分と今日の自分を比較し、果たして成長しているのか?自分のこととなると急に見えなくなるのが人間である。他人と比較するのを辞めて、昨日の自分と今日の自分を比較し、反省点をあげて成長していこうと感じた影響力のある文章である。
 愚痴を言う。愚痴を言うのも簡単である。パッと見えた悪い部分を何も考えもせずに言えば良いだけである。案外愚痴を言いまくっている人は、他人が自分の行動に対して愚痴を言うのではないかと、行動が億劫になっている人が多い。愚痴を言う時点で自分に対しても愚痴を言っている状態を作ってしまっている。愛していいる人や、自分の子どもに対しては絶対に言わない言葉を自分の中で反すうしてしまっていて、その言葉の鎖で自分を雁字搦め(がんじがらめ)にしてしまっているのである。愚痴を言う。その人に取ってストレスが緩和されるらしいが、自分はめったなことでない限り愚痴を言わない。解決策を話し合いたいものだ。
 あら探しをする。これも難しい。人ならその人の悪いところを探し、裏で悪口を言うためのネタにする。やっぱり日本で再度働いて感じるところは、四六時中他人のあら探しをし、裏で愚痴を話しながら煙草を吸う。あら探しを1年間され、ほとんど無視してきたがやはりうっとおしいものである。あら探しをする。その人の短所だけはなく、長所のあら探しを全員が全員に向けたら良い環境になると思うのだが、人間社会そうなるわけがない。ホモサピエンスや猿の時代から群れでどうやったらマウントが取れて、相手よりか集団の中で良い地位を築いていけるのか?そこにフォーカスして進化していったのが現代人である。急に遺伝子を変えろといわれても無理な話である。
んーあら探しをする。後輩や上司の悪い所のあら探しをするよりも、長所である良いところのあら探しをするようにすれば、何故か職場でもうまく回れるようになる。


 


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