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「生きづらさ」を軽視しない

 ある先生の授業をのぞき込んでいた時、子どもたちへ昔の戦争や領土問題を話す際、超ロングセラーの”桃鉄”をたとえ話で使ったものの、まったくわからず誰もやっていないことが判明し、シーンとなった教室にいられなくなり、ジェネレーションギャップと生きづらさを感じたドタバタカウンセラーのタカタです。その後、先生に「これは桃鉄ですよね?」と無茶ぶりされて、さらに教室から離れたい気持ちがわいてしまいました。

 今回は、子どものこころの名医、本田秀夫先生の本、「発達障害 生きづらさを抱える少数派の種族たち」を読み、改めて発達障害について考えようと思い、記事にしてみました。

まず発達障害の基本的な特性を確認します。

・自閉スペクトラム症(ASD)
 「臨機応変な対人関係が苦手」なことと、「こだわりが強い」ことを特徴とします。
・注意欠如/多動症(AD/HD)
 「不注意」と「多動性・衝動性」に特徴があります。
・限局性学習症(SLD)
 知的な問題はないが、「読み・書き・計算・推論が苦手」ということが特徴です。

 これらの障害が重なった場合、『1+1』が『2』となる人もいれば、『1+1』が『2』とならない人もいます。
 またちょっとAS、ちょっとADHの特性を持った人たちもいるのではないでしょうか。私もその一人です。

 そのことを基本に考えていきたいと思います。

 特性については他の記事を参照してください。

1.「ふつう」は「多数派」

 本田先生は、本書で繰り返し、以下のことを言っています。

 「ふつう」とは、基本的には「多数派」ということ。
中略
 発達の特性と「ふつう」との間に、優劣の差はない。その間にあるのは多数か少数かという、割合の問題。しかし、その割合の差があるからこそ、発達の特性は少数派の選好性となり、まわりの人の理解を得ることが難しくなり、それが生きづらさにもつながる
中略
 多数派向けに組み立てられている生活を少数派向けに調整すれば、生きづらさは軽減される。
 「選好性」とは、ココロの特定の方向に向かうということ。二つのものが並んでいたら、AではなくBを好んで選ぶということ。

 このように考えると、この世界は多数派による、多数派のための世界となってしまいます。これは少数派は生きづらいですよね。こういう分け方もあまり好きではないですが。

 生活に支障をきたす特性を持っていれば、生きづらくなるということで、自分の事をしっかり分かったうえで、周囲の理解を得られるように調整することが大事であると、この本では勉強させてもらいました。

2.やり方を変えたら「人付き合いが苦手」も苦ではない

 ASの人の特徴として、「対人関係が苦手」ということがあります。しかし、すべての場面で対人関係が苦手なのでしょうか?誰に対しても共感できず、対人関係が築けないのでしょうか?
 そうではないはずです。気の合う仲間との間では、自分たちなりの関係を築くことが出来るはず。

 私を例にすると、「雑談」が苦手です。よく言う「やんちゃ」や「エネルギーがある」人たちとの会話は苦痛でしかありません。「話し上手」な人たちと雑談をすると、愛想笑いでしか対応できません。
 しかし、雑談ではなく、内容重視の会話、例えば仕事の話、勉強の話では、苦痛ではなく、饒舌に話すこともできる時があります。
 人付き合いが苦手な私は、「雑談」と「内容重視な会話」とのバランスをとって生活しているため、生活できるのと思っています。

 発達の特性を「~が苦手」という形で、何らかの機能の欠損としてとらえるのではなく、「~よりも~を優先する」という「選好性の偏り」としてとらえた方が自然。

 この「~よりも~を優先する」という考え方であれば、それに合うような環境を作ることで、生きづらさを軽減できるのではないかと考えられます。

3.「生きづらさ」を軽視しない

 発達の特性があって困っている人に対して、その特性の現れ方が微妙だからといって、「あなたの場合は努力不足だ」と断じてしまうのは問題。

 本人の努力も必要ですが、周囲の理解も重要ではないでしょうか。


なんかいろいろと不安なこともあるし、しんどいけど、
何とかやれてるから、これもアリかな?


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