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「なるようになる」の本当の意味

最近、論文を書いていると、どうしても壁にぶつかる瞬間があります。

最初は計画通りに進めようと意気込んで取り組むけれど、思った通りに進まないことも多いし、途中でこれでいいのかと迷いが生じることもしょっちゅう。
何度も手を入れて、また書き直して。それでも終わりが見えないとき、

「もう、なるようになるしかないのか…」


とふと思うことがあるのです。

けれど、「なるようになる」という言葉に本当にすがっていいのか?自分の努力が足りないだけじゃないか?そんなふうに感じる自分もいて、葛藤が生まれます。
でも、この言葉の持つ深い意味をもう少し探ってみたくなりました。ただの諦めでも、現実逃避でもない「なるようになる」には、きっと何かもっとポジティブな要素があるように思うからです。


制御を手放すことの難しさ

私たちは、自分の力で物事を動かしたいと思う生き物なのかもしれません。特に、論文のような自分の成果が問われる仕事では、「どうにかして完成させなければ」と強く感じるものです。でも、すべてをコントロールしようとすることで、かえって心の余裕を失ってしまうこともある。

それでも、「なるようになる」と口にするのは、少し怖い。
自分が目指していた完璧さや理想を手放すようで、どこか不安になるんですよね。

でも、どうしようもないときって、あるんです。自分がどれだけ頑張っても結果が見えないときにこそ、「手放してみる」という選択が必要なのかもしれません。


もしかしたら、この言葉には、自分の思い通りにいかない部分を受け入れる勇気が含まれているのかも、そう思えるようになりました。


執着を手放すということ

論文を書いていると、自分のこだわりが邪魔になることもあるんです。

「絶対にこうでなければならない」という気持ちが強いほど、少しのミスや不完全な部分が気になってしまう。でも、ふと考えました。完璧でなくてもいいんじゃないかと。

「なるようになる」とは、もしかしたら、自分の理想や執着を手放し、たとえ不完全でもそこに価値を見出すことではないかと感じたのです。

無駄や遠回りに見えることも、最終的には自分の経験として積み重なるのだと。そう思うと、少しだけ肩の力が抜けた気がしました。


プロセスを尊重するという姿勢

論文執筆の過程で、結果がすぐに見えないことに不安を感じることがあります。
特に、他人と比べて自分だけ進捗が遅いと感じると、「このまま続けて意味があるのか?」と思うことも。

でも、「なるようになる」と考えることは、目の前のプロセスを尊重し、その中で自分ができることを淡々とやり続ける姿勢でもあると気づきました。

すぐに成果が出なくても、どこかで自分にとっての意味が生まれる。今の自分には見えないだけで、何かが確かに進んでいる。そんなふうに思えるようになりました。


自分に対する信頼と受容

「なるようになる」とは、自己に対する信頼でもあるのかもしれません。

自分の選択や歩んできた道が、最終的には自分を導いてくれるはずだという静かな確信。たとえ期待していた形でなくとも、それを受け入れる心の広さです。

論文を通して、私もその信頼を少しずつ育てています。
時には「このままでいいのか?」と不安になるけれど、自分が積み重ねたものに価値を見出すことで、少しずつ受容の気持ちが生まれます。

完璧でなくても、形にならなくても、それが自分の一部だと認めることで、どこか落ち着いた気持ちになれるのです。



静かな確信としての「なるようになる」

最終的に、「なるようになる」とは、未来がどうであれ、自分を信じて前に進むための静かな確信かもしれません。

流れに身を任せることは、無責任に感じることもあるけれど、自分の意思を手放すわけではない。
ただ結果に囚われず、自分の道を見つめ続けることで、逆境にも動じない強さが少しずつ身についていく。そんな気がしています。



こうした考えが、今の私にとっての「なるようになる」の本当の意味なのかもしれません。もしかしたら、あなたも同じような不安や迷いを抱えているかもしれませんが、少しだけ心の力を抜いて、見えない未来に身を任せてみてもいいかもしれません。

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たくと
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