その愛にはディズニーランドすらいらない
今年の1月2月はマルタで過ごしていた。ヨーロッパの孤島。東京23区よりも小さな島国で穏やかな日々を送った。
アコモデーションはというと、行っていた学校が用意してくれるシェアハウスを使っても良かったのだが、「それもなんか面白くねえなあ」と思い、Airbnbで見つけたゲストハウスのような所に滞在していた。
そこは、旅行者などが1泊や2泊使用して流動的に滞在者が入れ替わるというものではなく、基本的にみなさん長期滞在。ワーキングホリデーで来ている人や、僕のように語学学校に通っている人など。
僕の隣の部屋は、マルタに移住してきたヨーロッパ系の新婚カップルが使っていた。その二人、毎晩22時ごろになると爆音で音楽を流し始め、隣の僕の部屋までその音を響かせていた。
日本だとクレーム案件だが、不思議と海外ではあらゆることを受け入れられる。仕方ないよなーと思っていたのだが、ある日僕は気づいてしまう。
聞こえてくるのはミュージックだけじゃない。
その「ミュージックではない何か」をはっきりと確かめるべく、僕は壁に耳を当てる。それでは証拠不十分だったので廊下に出て、隣の部屋のドア付近まで行って耳を澄ます。
間違いない。セックスしている。
音楽に紛れて喘ぎ声とか、ガンズの「Rocket Queen」じゃねえか。ロックじゃねえか。
まあ、そりゃセックスくらいするか。若い男女がずっと一緒に生活していて、セックスがない方が不自然である。そしてこの薄い壁で音楽を爆音で流し隣人にフェイクをかけることも自然である。
よって、毎晩のこの騒音は自然の条理であり、地球のコアなのだ。うんうん、理にかなっている。その事実は僕に一層の「許せる心」を与えた。
キッチンは共同だった。僕が冷凍のピザや作りためておいたパスタを温めているときに、よくその夫婦に出くわした。最初は挨拶程度の関係だったが、段々とその夫婦が作る料理に関心がいった。毎回凝っているのだ。しかもむちゃくちゃいい匂いをキッチンに振りまき、二人揃って美味しそうに食べている。ピザ→パスタ→ピザ→パスタ→バーガーキング→ピザ......のローテーションで満足していた自分が恥ずかしい。
ある日、その旦那さんが「一緒に食べないか」と誘ってくれた。答えはもちろんイエス。
ヨーロッパ風のパスタだった。涙が出るほど美味しかった。そして、涙が出るほど辛かった。汗をダラダラ流しながら食べる僕を見て、二人は笑っていた。圧倒的な幸福感に溢れる食卓であったことは間違いない。
僕たちはワインを嗜みながらいろいろ話した。旦那さんは近くの英語学校の食堂で働いていること。奥さんは特に働いてなく毎日この家で旦那さんの帰りを待っていること。ヨーロッパのどこかの国(どこか忘れた)から移住してきたこと。二人の出会いはレストランだったこと。
しかしここで僕は自分の英語力に悔やむことになる。もっと二人のことを聞きたい…...もっと深い話がしたい。あなたたち、なんでいつもそんなに幸せそうなのですか。愛についての話がしたい。夫婦とは何か。二人が幸せになるためにお金は必要か。僕の部屋に声が漏れていることに気づいているのか。
ここからは完全に僕の妄想である。
この夫婦は大した収入がなくていいから、二人でゆっくりとした時間を過ごすためにこのマルタを選んだ。煩わしい人間関係から逃れるために二人で移住すること選んだ。そして何より確実なことは、二人は愛し合っている。
女「私、もう疲れちゃった」
男「俺のお袋のことか?二人でもう引っ越そうか。二世帯住宅は色々めんどくさい」
女「ねえ、どうせ引っ越すなら一緒に遠くへ行きましょうよ」
男「遠く?」
女「そう。二人で。ずっと遠くに」
男「どこがいいだろう」
女「マルタなんてどうかしら」
男「マルタなんて何もないだろ?」
女「それがいいんじゃない」
男「子どもはいらないのか?自分の国の方が子育てとかしやすいだろ」
女「子どもは授かりものよ。その時考えましょうよ。それに、何より今は」
女は男の手を握る。
女「全部無視して、あなたといたい」
僕がパスタを食べきった頃、二人はすでに洗い物を終え、自分たちの部屋へと戻ろうとしていた。僕は何度も「Thank you」と言った。シンプルだが、それ以上の言葉はなかった。一人になった食卓で、余ったワインをチビチビと飲む。「ごちそうさま」の意味を英語で説明できるようにならないとなと思った。
サポートしていただいたお金を使って何かしら体験し、ここに書きたいと思います。