トビウオのようになりたい:2023年の目標
2023年が始まった。
今年もどれほど達成できるか分からないけど、新年の書き初めとして記事を書いてみたい。
ドゥルーズ・スピノザ・ベルクソン
ここ2年は気持ちが落ち込むことが多く、そのおかげもあってかなんで生きているんだろうと考えることもあった。
その中で『暇と退屈の倫理学』という素晴らしい本に出会い、哲学を齧るようになった。
そうした中でいかにして残りの人生を生きるのか、『暇倫』の言い方を借りればいかにしてこの巨大な退屈と向き合うのかということに興味が湧くようになった。
この問いに対する応答としては簡単に言えば、自分の好きなことを楽しみながら生きるというごく単純なものになる。
哲学チックに言えばドゥルーズ的スピノザ哲学をいかに現代社会に適応していくかということになるだろう。
去年は関連本の出版ラッシュドゥルーズに到達する前にベルクソンの哲学で手一杯だったので、今年はドゥルーズしいてはスピノザも勉強できるようにしたい。
ファスト教養の時代に
今日は特に外にでる用事もなく時間が取れたので、ゆっくり本を読んでいた。去年から引き続きベルクソン関連本で評判もよい『世界は時間でできている』の序章と積読になっていた『ファスト教養』を読了した。
後者は千葉雅也の『勉強の哲学』が引かれていたり、自分の今まで考えてきたことと遠くはない内容だった。そしてそれは昨年末にかけて読み直した『暇倫』とも無関係なものでは無かった。
拝金主義的な価値観の下で行われるファスト教養でも古典的な教養主義でもなく、的確なソースからの知識の習得と価値観の見直しを勉強を通して行い深めることで自由になっていく、そして偶然に目を向けることで利他の気づきを得るという著者が提唱するポストファスト教養の哲学のありようは、去年通読した『偶性の問題』、『勉強の哲学』、『暇と退屈の倫理学』を読んでいた時に考えていた問題と近い所にあると思う。
勉強し価値観を深めることでものに出会う時を待ち構え、自分の好きなことを見つけ楽しみながら生きる、そんな言うは易く行うは難しいことの実践をこれからも考えていきたいと改めて思った。
トビウオのように
今年は兎年であるからそういったイメージに寄せて飛躍の年にしたいといった文言がこういった目標宣言では定番なのだろうが、ちょっと捻って私の目標はトビウオのようになることとしたい。
トビウオは魚では珍しく空中を滑空する。トビウオが飛んでいる時トビウオは自由を感じているだろうか、おそらく捕食者である敵から逃がれるために必死に水面へ飛び出したのではないだろうか。どこに着水するかも分からないままに。
昨年は不安を感じることが多かった。それを簡単に克服できるとは思っていない。しかしながら前に進むことも諦めたくない。ただそんなに強い意志をもっている訳でもない。
解決するとしたら半ば状況に強制されながら飛び出して気づいたら前進しているといった状態なんじゃないかと思う。そんな想像からイメージしたのがトビウオである。人からみたら空中を滑空している姿は自由に映るかもしれないが本人は案外必死なのかもしれない。
ただそんなトビウオが自由を謳歌してもいいのかもしれない。たまに水面から飛び出して気ままに進むトビウオだっていてもいいのかもしれない。そんなことを考えていた元旦だった。
・目標(箇条書き):後で更新するかも
・仕事との向き合い方に折り合いをつける
・麻雀強くなる(雀魂:雀聖3到達目標)
・ドゥルーズの『差異と反復』を読む
・沢山映画を観る
・沢山本を読む
・沢山アニメを観る
・沢山noteの記事を書く
・偶然を大切にする