見出し画像

危機感とささやかな問と未来への希望と

chat GPTというAIが開発、リリースされたみたいです。
使ったこともなく、ちゃんと分かっていない&理解していないのですが今回のこと(chat GPTのリリース)をきっかけに、社会や人のあり方、生き方に危機感を感じたので、僕の中にある危機感と不安と希望と問たちをここに共有することにしました。



chat GPTというのは対話してくれるチャットボットで、こちらが質問をすると瞬時に答えが返ってきます。それもGoogleで検索をするよりも高精度で求めたい、知りたい情報や答えが返ってくるそうです。その脅威にGoogleは社内で[コード・レッド]という緊急事態宣言を出したようです。

もっと詳しく知りたい方はぜひ調べてみてください~!






これから書く内容は僕の推測だったり、勘違いなどもあると思います。まだまだ学びが浅く、未熟なことは否めないのですが書きたくて仕方がなかったので書くことにしました。”答え”ではなく、ささやかな問がここから生まれたらいいなあと祈っています。

そしてそして、ひとりで考えるには壮大すぎるテーマなので、みなさんと共に考えていきたいです!!

僕は大いなる希望をもってこの記事を書いています!

ちょっと長いけれど、一緒に旅することができたら嬉しいです。



”答え”が求められる時代??


人は生きていく中でたくさんの不安を抱えています。日々の暮らしのこと、仕事のこと、学校での人間関係、お金のこと、将来の漠然とした不安などなど。



そういった中で、例えば、

「どうすれば幸せになれますか?」「何をしたら年収が上がりますか?」
「どうすれば恋人が出来ますか?」「人はどうして生きているのですか?」
「どうしたらやりたいことが見つかりますか?」

こういった質問をもとにすぐに得られるそれっぽい正解や答えを探したことは誰しもあると思います。特に、苦しいとどうしても答えを求めてしまいます。



社会・世間や自分ではない他の誰かが言ったわかりやすい答えや正解はインターネット上にあふれています。

生き方の話で言うと、親や社会が求める答えや正解をもとに人生を生きたり、選択の基準にしたり。




本屋の自己啓発コーナーにもHow to本があふれています。インターネットにも目に見える、わかりやすい答えがあふれています。そういったことの背景には自分の人生は自分の意志でコントロール、支配することが出来るという思い込みの影響も大きいように思います。自分の人生のコントロールを求めている人ももしかしたら多いのかもしれません。


(自分の人生は自分次第でどうにでもなる、という考えは簡単に自己責任論ーあなたの人生がそうなったのはあなたのせいだ、自分で努力しろ。自己責任だ。ーにつながるのでとても危険だと思っています。また別の時に自己責任論に関する記事書きます~。)





こういった答えをすぐに求めること、正解にすがることは対症療法的(物事の原因ではなく、表面に現れてきたことに対して、処置をすること。)で、一人ひとりが抱えている問題の根本の解決にはなっていないような気がします。

わかりやすいこと、すぐに役立つこと(役立つように見えること)。こういったものたちは脆く、儚い幻想しか見せてくれないのではないでしょうか。




人生を、そして自分を無理やりコントロールするのではなく、人生や自分の思い通りにならなさや、情けなさ、悲しみや不安、恐れたちとどのように付き合っていくか、向き合っていくかの方が大切なのではないでしょうか。


答えや情報を消費する世の中の流れもあり、それに抗うことは難しくなっていると思います。個人として、一人の私としては不安な私たちの足元を”問”というものが照らす明かりになると信じています。





”問”を立て、考えること


「どうすれば幸せになれますか?」「何をしたら年収が上がりますか?」
「どうすれば恋人が出来ますか?」「人はどうして生きているのですか?」
「どうしたらやりたいことが見つかりますか?」


こういったHowの質問ではなく、例えば幸せと年収についてだと、


「幸せってなんだろう、どんな状態なのかなあ」
「幸せになる必要ってあるのかな~、ほどほどでもいいんじゃない??」
「今の自分は幸せかなあ」


「なんで自分は年収を上げたいと思っているのだろう」
「年収より大切なものがあるんじゃない??職場の人間関係とか、住む場所とか」
「そもそも年収上げる必要ある??」


とかとか。こんな感じで問を立てて、自分で考えていく。自分の中に深く深く潜っていく。問を立てながら時には旅をしたり、森の中を散歩したり、焚き火を眺めながら友と語り合ったり。


問を立て、考えるには体力がいります。しんどいです。苦しいです。けれど、簡単に得られる”答え”よりは確実に自分のことを知れるし、自分の抱えていることたちと深く向き合えると思います。





わからないことをわからないまま、生きていくこと。付き合っていくこと。問を立て、考えながら生きていくことでより良い人生を生きられるのではないでしょうか。(”より良い人生”というものもまた別で考える必要があると思ってます~)





”答え”と”問”は”結果”と”過程”ともつながっていると思います。


登山の楽しさは頂上に着くまでの道のりにあると思います。急な坂道があったり、岩を乗り越える必要があったり。その中でも、休憩して食べるおにぎりがすんごーい美味しかったり、鳥のさえずりや滝の音に感動したり。道のりの豊かさを感じること。



山を登るという道のり無しに頂上にいってもなにかつまらない。答えや結果を求めるのではなく、問を立て過程を楽しむこと。これが豊かな人生を味わい感じる土壌になってくれるはずです。





"身体"とのつながりを取り戻す


どうしても不安になること、辛いこと、苦しいことあると思います。
脳が発達した人間だからこそ、頭で考えていても”言葉”に支配されて考えてしまう。そして手っ取り早い”答え”を求めてしまう。そんな時、こらえること、わからなさと向き合うことをしたくてもできないことだってあると思います。




そんな時は、悲しみ、不安、恐れ、怒り、苦しみなどの感情たちを頭ではなく身体で味わう。感じる。自分の身体を自分の腕で抱きしめてあげる。




身体とのつながりを取り戻すこと。身体の心地よさを大切にすること。ふわふわの毛布に包まれたり、美味しいご飯を食べたり、大好きな人にあったり、お散歩したり、植物や動物と触れ合ったり、運動したり。そうすると自然と凝り固まっていた頭の中がじんわーり、ふんわりしてくるはずです。






死ぬのが怖いという子どもの質問に対して答えた谷川俊太郎さんの回答が本当にほんとうに感動して身に染みたので共有します~~


質問:
どうして、にんげんは死ぬの?さえちゃんは、死ぬのは嫌だよ。
(追伸:これは、娘が実際に母親である私に向かってした質問です。目を潤ませながらの質問でした。正直、答えに困りました~)


谷川俊太郎さんの答え:
ぼくがさえちゃんのお母さんだったら、「お母さんだって死ぬのはいやだよー」と言いながらさえちゃんをぎゅーっと抱きしめて一緒に泣きます。そのあとで一緒にお茶をします。あのね、お母さん、ことばで問われた質問にいつもことばで答える必要はないの。こういう深い問いかけにはアタマだけじゃなく、ココロもカラダも使って答えなくちゃね。

谷川俊太郎質問箱





ぼくも、死ぬのが怖いなあ、嫌だ!!死んだらどうなるのだろう。生きている意味って何??ーという感じに死の恐怖や生の恐怖、不安に襲われることがあります。




こういったことに対して極論を言えば、絶対的な意味や答えは無いのでしょう。一人ひとりが問を立て、考えていくほかないのです。しかし、ひとりだと心細い。そんな時に例えば、過去の哲学者のひとの思想が大いに力を与えてくれると思います。仏教やキリスト教などの宗教の思想も同じく勇気を与えてくれるでしょう。

日常や日々の暮らしにもヒントがたくさんあると思います。






おわりに


ささやかながら僕の中にある危機感と不安と希望と問を共有させて頂きました。chat GPTの誕生によって答えや正解を求める流れは加速していくでしょう。そういったことへの危機感、不安が僕にこの記事を書かせてくれました。ありがとう。



人が生まれ、生きて、死ぬこと。僕の人生にもほかのみんなと同じように、辛いこと、苦しいこと、悲しいことがたくさんたくさんあります。特に最近は死ぬことについて考えていて、不安な気持ちになったりならなかったりしています。



それでも僕は未来に希望を持っています。そう思えているのはこれまでのすべてー出会ってきた人、言葉、読んだ本、自然とのつながり、食べてきたもの、目には見えないけれど確かに影響を与えてくれたものなどなどーのおかげだと思います。すべてに感謝の気持ちでいっぱいです。




効率や答え、はやさが求められることもたくさんあるのですが、ゆっくりゆったり根を張ること、問を立て自分とじっくり向き合うこと、忘れずにいたいです。



いつかここまで読んでくださったあなたと温かいココアでも飲みながら暖炉の前で、あるいは海を眺めながら、草原に寝ころびながら、、対話できることを楽しみにしています。


ひとと自然、ひとと文化、ひとと社会、ひとと人を結びなおす、つなぎなおす、ゆるめる、ほどく、豊かな幸せな関係をみんなで創っていく事業に使わせていただきます!