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田端信太郎『部下を育ててはいけない』-個人の常識は世間の非常識-

まず最初に本書の公式紹介ページと概要のリンクを掲載しておく。

0. 導入
社会人としてはビジネス書の一冊くらいは読むべきなのだろうが、せっかくだからビジネス書ネットワークの構成員として有名な著者の本を適当に読んでみて、「いやいやそれはないだろ」とツッコむ遊びをしようと考えていた。今回取り上げる「部下を育ててはいけない」は予想よりは一般受けしうる内容が多かったが、それでもこの通りの行動をする上司がいたら部下は大変だろうと思った。
このnoteを書く前に要約を作っていたが、正直にいって要約は書きにくかった。1つの話の筋が通っているというよりは、25個の提案を通して田端信太郎という人物の考え方の輪郭がわかっていく構成になっているため、その一部をもってきて「こういう本です」と述べるのは適切ではない。要約は早々に切り上げて、構成が自由なnoteを書こうと逃げてきたということを告白しておこう。
ここからは、本書の提言から受け入れ可能と思ったもの、受け入れがたいと思ったものをいくつかピックアップしてみよう。ただし部下を育ててはいけないというタイトルではあるが、経験の浅い新入社員に対してまで育てないとまでは言っていない。多少の業務経験のある部下に対して、上司としてどうふるまうかというアドバイスであることは念頭に置いておいた方がよい。


1. 受け入れ可能な提言①「進捗を確認するのではなく質問させる」
みなが同じ場所に集まって仕事をするスタイルでは上司が部下の様子を見る(文字通りの意味)ことでマネジメントをしている気分になることもできたが、リモートワークで部下の姿が直接は見えなくなると途端に不安になってしまった上司もいるだろう。その不安を晴らしたり「仕事している感じ」を得るために部下に細かく指示したり過剰に報告を求めたりするケースが考えられるが、自分で仕事の進め方を組み立てたり自分のマネジメントができる部下にとってはそのような介入は邪魔に感じられる。上司側が催促するのではなく必要なときに報告や相談(いわゆる報連相)をさせるようなサポート、たとえば部下が悩んだときや問題が起きたときなどに部下側から話をしてもらえるような信頼関係を築くことが必要であると主張されている。
この内容そのものはとてもよいと思うのだが、そもそも自分の仕事が「管理」ではないということを認識できる上司はどのくらいいるのか疑問に思う。私は、上司は調整役であり触媒であると考えている。平社員はよく広い視野を持ちなさいと指導されるが、そうはいっても自分のチームの利益を大きくすることに目が行きがちである。組織の内外を含めて様々なチームがそう考えるため、その利害や人員繰りなどを調整することは必要であり、そこはチームのトップたる上司が対応するべきではないだろうか。また、極端なことをいうと上司などいなくても仕事はある程度回るし、問題が頻繁に発生することもない。いざ困ったときに停滞させずに状況の打破に一役買うのが上司の役割と感じている。
田端はおそらく「できる方の部下」であった経験からこのような提言をしている。実際、田端が自身にされたいマネジメントを部下に対して行った結果反感を買ってしまった失敗談も書かれているのだが、こういった人間臭さを出してくるのは、読者から共感を得るためのテクニカルなものだと勘ぐってしまうのは私だけだろうか。

2. 受け入れ可能な提言②「取引先と懇意にするのではなくケンカ上手になる」
ここで出てくる例の要点は、営業の部署であれば「相手に買わない自由があるように、こちらにも売らない自由がある」ことを自覚して、相手から強烈なかましをされてもうまくかわして、言いなりにならないように(劣勢にならないように)することである。これができたらどんなにいいことだろうか。
私は業務として様々な企業から業務の依頼を受け、その金額を見積もったりプレゼンテーションをしたりしている。競合との入札(一般にbidという)に勝つためにはある程度の価格競争力が必要であることは否めない。経験的にはbidの段階においては相手の現場の担当者よりは購買部の力が強く、実際の業務のイメージがわかない人が単に価格で入札先を決めてしまうことがある。bidでの値下げ圧力にどこまで応じるか、またbidでの想定よりも実際の業務が大きく負担であったときに値上げできるかどうかは永遠の課題である。一対一の関係だけを考えるならばケンカ上手になることは意味を持つが、競合に勝つことを目的とする状況では、入札者と少しでも仲良くなっていた方が現実的に有利になるため、ケースバイケースだろう。

3. 受け入れが難しい提言「他部署の役職者に文句を言うときは共通の上司に事前に保険をかける」
内容自体はそれなりに正当なのだが、他部署に文句を言わなければならないようなトラブルのときは、本来は組織全体としてよい結論を導かなければならないのに、自分たちが勝つことを最優先にしているかのような説明であったことが残念だった。本書の例では、田端が営業の責任者であったときに開発部門の責任者にクレームをつける必要に迫られた。田端はまず共通の上司である社長に話を通してから開発部門にクレームをつけたとのことである。確かに、営業と開発であれば共通の上司といえば少なくとも役員クラス以上になってしまうが、組織全体のことも考えていたのだろうが自分たちが勝つためにそこまでするのかとあきれてしまった。部下からみれば田端のような上司は頼もしく見えるだろう。しかしその見た目だけをなぞって本当に自分のチームのことしか考えない部下が増えるのではないかと危惧した。

4. 私の派生した考え -適材適所とはなんなのか-
どの企業でも人事異動は行われているが、基本的には現場の部長クラスでも部下が自ら希望しない限り異動させる権限はないと思われる。本書は「上司なら部下を取り替えられるよな?」という非現実的な前提で話が始まるため、その時点でこの本をまじめに読んで実践しようという気になることはない。確かに、適材適所といわれるように人には人の適切な役割や居場所があるのだろう。しかし、異動すれば解決するのだろうかと思うことがある。
私の同じ部署の後輩の話である。彼は、私の部署が主に行う業務ではなく、裏方としてのサポートが業務の中心であった。他の部署が彼を引き抜きたいと声をかけ、これを公開した時点では異動が完了している。適材適所という言葉を利用すれば、彼にとっては異動した方が活躍できるのかもしれない。しかし、私からみると私の部署が彼に合っていないというよりは、彼を評価する人たちの目がその能力や有用性を理解できなかっただけではないかと思われる。私は上から与えられた仕事とは別に、個人的に業務に必要なツールを開発しようと思って彼にVBAなどを教わっている。VBAは業務上必須の知識ではなく、昨今の風潮ではツールを開発しようと思ったらすぐに外部ITベンダーにRPAだのAIだのを発注すればよいと考える人も多い。しかし、内製化した方がコストもかからないし、開発の知識も企業に蓄積される。私自身がVBAを学んで開発してみたいという思いもあるし、彼は私に持っている知識や経験を提供してくれる。私にとっては彼は「適材」なのである。仮に彼が異動しても私にとっての適材であることに変わりはない。上司として、あるいは部下としてどうふるまうかの前に、相手をただしく見ようとする力について考えてみることが必要なのではないだろうか。

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