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齊藤彩『母という呪縛 娘という牢獄』-家族とはなんなのか-

まず最初に本書の公式紹介ページと概要のリンクを掲載しておく。

0. 導入

本書は、娘・高崎あかりが、母・高崎妙子を殺害した事件について、あかりの手記などを交えたノンフィクションである。
第一審では殺害容疑を否認していたあかりだが、控訴審では一転して殺害容疑を認めた。あかりの陳述書には以下のように書かれている。

勿論、長年の憤まんは積もっていたので、母の隙を突いて平成26年に逃げたのだが。しかし、大学生活を経ての地獄の再来は流せなかった。暴言による傷が治らない。言動の意図をあれこれ考えてしまう。狂った母に負い目はある。でも、だからといって助産師になりたいとは思えない。手術室看護師になるという現実的な希望があり、いずれは大学院に入りたいという夢も抱いていた。自分の人生に執着していた。
(中略)
「娘が看護師として就職することを断固反対し、内定を蹴って助産学校に入るよう母親が強制してくる」という、私ですら理解しきれない苦悩を、父に、祖母に、大学の級友や教職員に、病院関係者に、誰に何を切り出して相談すれば良いのか、まったく思い付かなかった。母とすら信頼関係を築けなかった私は、自分以外誰も信頼出来なかった。浪人時代からそうであった。高校時代の「ドン引きされているのにウケていると思っていた失敗」を大学では、就職に際しては繰り返したくなかった。何より、誰も狂った母をどうもできなかった。いずれ、私か母のどちらかが死ななければ終わらなかったと現在でも確信している。

齊藤彩『母という呪縛 娘という牢獄』pp.54-56

9年間にわたり強制された医学部浪人生活はあかりにとっては地獄であり、看護師就職によってその地獄の時間を抜けられるかと思いきやまた母親によって地獄に引き戻されそうになったことが、殺害に至った直接の原因であると思われる。

1. なぜ医学部受験を子に強いるのか

現在は医師免許を取得するためには大学の医学部医学科を卒業して、国家試験に合格する必要がある。医師になろうという意志は尊重されるべきと思う一方で、親が子に医学部受験を強制したり、何年も浪人をすることについてはあまり賛同できない。

親が子に医学部受験を強制することについては、医学部に限らず進路を強制することそのものに反対である。両親が伝統工芸をやっていて、子にそれを継いでほしいというような特殊な事情があるなら理解できるかもしれないが、そうでなく一般的にありうるような進路であれば、できるだけ子の意志を尊重してあげてほしい。ここで議論になることは、「子の意志」が本当に子の意志であるかを確認することは子自身にも困難ではないか、ということだ。本書によればあかりは「医師を目指すと言い出したのは自分からだった」と証言するが、妙子はあかりに対して「生まれたときから医者にしようと思っていた」と口にしていたようで、妙子に医学部受験を仕向けられた面はある(本書第5章)。実際に、あかりは浪人生活を続けるうちに医師よりも看護師として働くことに興味がうつっていったことを考えると、仮に医学部医学科に合格していたとしたら、あかり本人の希望とのずれがどこかのタイミングで顕在化していた可能性が考えられる。

医師免許があれば全国どこででも仕事はあるし、収入の下限も日本の平均よりはかなり高いことが想定される(その収入が労働に見合っているかどうかはここでは考えない)。医学部受験と国家試験に合格できる頭脳があれば、それ以外の能力はほとんど考慮されないことから、人生一発逆転の方法として医学部受験が過熱している面はあるのだろうと思う。私の知り合いに医師が何人かいるが、医師だからといってその知り合いに対する思いが変わったことはないし、医師になれる能力があるからといって医学以外の領域についても信頼できるなどと思ったこともない。もしかしたら世間的には医師はすべてにおいて人の上に立つような存在と認識されているかもしれないが、それは幻想であろう。

2. 死は救済か?

何かつらく苦しいことがあったとして、そこから逃げる手段として自殺や原因となっている人物を殺害することが挙げられる(努力して乗り越えるなどの真っ当な方法はここでは考えない)。あかりは妙子を殺害する道を選び、懲役10年となった。仮にあかりが自殺していたらそれ以降何も起こらず、本書が出版されることもなかっただろう。言い方は不適当かもしれないが、懲役10年で自分の行動を省みて、妙子や父、これまでお世話になってきた人々への想いに向き合うことで社会復帰ができるのであれば、あかりにとっては妙子の死は救済であったといえるかもしれない。妙子を殺害せずに逃げて新たな生活を始めることも選択肢としてはありうるが、それまでモンスターから与えられてきた苦しみを清算することはあかりにとって必要なことだったように思う。

3. あかりの父の愛情

あかりが拘置所にいる間、あかりの父は月に一度は面談に訪れていた。あかりは父に質問をする。

拘置所に移送されて1年ほどが経ち、かねて疑問に思っていて、弁護士に尋ねてみても釈然としなかったので、思い切って面会時に父に質問した。
「何でお父さんは、私をずっと支えてくれるの?」
成人した、殺人犯の娘を物心両面で支える義務は一切ない。父が私を見放したとしてもそれは父の自由だ。なのに、何故?
(中略)
「家族だから」
父の返答に、私は強い衝撃を受けた。
「自分と俺は、家族だから」
家族だから。たったそれだけの理由で。
母にとっては助産師になるという約束を果たさない私は。家族ではなかった。しかし、父にとっては殺人犯であっても私は、家族なのだ。家族だから、支える。
父は愛情深くて気配りも細やかで誠実で人望もあり、心から信頼し尊敬すべき人間で、私なんかにはもったいない素晴らしい父親だ。

齊藤彩『母という呪縛 娘という牢獄』pp.256-257

「家族だから」という父の返答は、理由を答えているのだろうか?あかりの質問に対するものだから理由になってはいるのだが、私は「家族だから」は質問されたからひねり出した理由であって、家族であることが本当に意味のある事項だとは思わなかった。これは私の想像だが、もっとも正解に近いのは「あかりを支えたいから」であって、それを「家族だから」と表現をしたのだと思う。あかりを支えたいと思ったのは、あかりを支えたいと思ったからであって、そこに理由はなく、無償の愛のようなものだろう。「家族だから」という返答はウソではないが捏造された理由だと考えている。

4. おわりに

受験で多浪といえば医学部が思い浮かぶ人が多いだろうが、東京藝術大学も医学部以上に厳しい戦いが行われていると思う。表現評論活動でまどそふと「ハミダシクリエイティブ」を遊んでいるときに、両親ともに音楽を生業にしている娘・錦あすみが、音楽家をやめてふつうの学校に転校した様子が表現されているのを見た(下記動画の18:40あたりから)。

芸術は学校に入学するのも大変だし、卒業してから生計を立てるのも困難である一方で、医学部は入学してしまえば医師免許を取得して高給を得ることはほとんど約束されている。また、医師は社会的に高い地位であると思う人は少なくない。この点で、医学部受験は何年か浪人してもリターンが十分にみこめることが、受験競争を過熱させる要因であるようにも思う。東京藝術大学やその他の芸術系の受験がどの程度難しいのかは私には遠い世界のことだからよくわからないが、受験に受からないからといってまったく別の分野に方向転換するような人はそもそも芸術の道を選択しないような気がする。医学部にしろ芸術系にしろ、その道に進みたいから受験をしているのか、何らかのリターンや名誉を得るために受験をしているのか。受験生自身を含めて家庭にモンスターが生まれないように、なぜその道を選び、受験しようとしているのかを考え直すことは意義があるだろう。

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