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「はじめに言葉ありき」について歩きながら考えた(毎日更新54日目)

昨日、言語化することの大切さと、トレーニング方法について書いたんですが、

さっき朝散歩しながら言葉にするってどういうことなんだろう?

言葉の役割ってなんなんだろう、そんなことを

って考えてました。

言語化するっていうのは
「無意識を意識化するってこと」
つまりは
「自分の中にあるモヤモヤした考えや感情を言葉というツールを使って外に出すこと」
って勝間和代さんは説明してました。

その説明が心理学に興味がある自分にとっては
なんかすごい心がひかれたわけです。

無意識っていうワードから
ユングを連想したり

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そして今日は歩きながら
「はじめに言葉ありき」
っていう聖書の言葉についてまで
想像することになったわけです。

ぼくは無宗教でキリスト教にもまったく詳しくはないのですが

「はじめに言葉ありき」っていう言葉だけは
本を読んでいるといろんなところで引用されるので知っていました。

そしてその言葉の意味を
無意識から意識へ という話から
ぼく的に考えたわけです。

「はじめに言葉ありき」の意味は

形のないものに、形を与える ってことなんじゃないか

まだ形を成していない何者でもないものに、名前をつけることによってはじめて現実世界に立体的に浮かび上がってくる

といった意味なんではないかと思いました。

つまり「言葉っていうのは命を吹き込む役割」をもっているということ

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夢や目標だって、書いて、話して、はじめて認識され形成されていくもの
そして現実化する最初の起点になっているのが言語化なんだと思いました。

だから、この世界は
はじめに言語化して、それに輪郭が生まれて、それに行動し手を加えていくことで現実化していく、そんな構造になっているんだろう

といった気づきみたいなものを感じました。

そして「はじめに言葉ありき」をネットで調べたら
おんなじようなこと言ってる人がけっこういたんですね。

だから、今朝のぼくの気づきは、わりと一般的なものだったんだなー
と 思ったしだいです。

ちなみに宗教学者みたいな人がいて
ちゃんとした解釈みたいなものがあるみたいですけどね
自分が納得いくものが見つかればそれでいいかと思います。


最後にカール・グスタフ・ユングさんの名言を紹介して終わりたいと思います。


「ある者にぴったりの靴は、他の者にとってはきつい。人生において、全ての人間に適したレシピなどない」




「あなた自身の心を覗き見るときにのみ、あなたの視界はクリアになるだろう。外を見るものは夢を見、内を見るものは目覚める」





「われわれの意識は、
日常では脳の働きの5%しか使っていない」



今日はそんな感じです。
それではこのへんで

また明日。


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