限りがあるんだ 『大きなさよなら どくだみちゃんとふしばな5』
吉本ばななさんのエッセイ集『大きなさよなら どくだみちゃんとふしばな5』を読んだ。前にもnoteの方で読んだかもしれないけれども、でも、また読み返すと、また心が癒される。
今回のはタイトルの通り「さよなら(喪失)」についての話が多い。なかなかそのさよなら(喪失・お別れ)については、想像を絶するけど、でも、彼女の文章を通して癒しが伝わってくる。きっとそれで彼女も自分自身を癒しながら、また文章を書くのだろう、と想像する。
数年前に書かれた文章なので、いま、インスタとかを更新されているのをみると、そういう時期もあったんだ、という感じで受け止めることができるけれども、その当時はきっと大変だったんだろうな、と軽い感じだけど想像する。重くないどころか、こちらの心を軽くしてくる彼女は本当に天才だと思う。
今回のエッセイの中でドキッとしたのが、「いまの人生の中で伝えたいことを書ききれない」というようなくだりのところ。前にnoteで読んでドキッとしたけど、また、今になってまたドキッとしてしまった。
別に書くこと、執筆活動に対して大きな悩みはないけれども、でも、何を書いたらよいだろうか? 自分のスタイルは? なんてことを考えてしまう自分がいて、そういうことを考えることももちろん大切だと思うけど、それを考えている時間があるならば、僕ももっと単純に書いていきたいな、と思った。
そう、人生には限りがあるのだ。そして、書くことができる文章、物語にも限りがあるのだ。なんだか、ちょっとだけ色気を出して、どうしたらより多くの人たちに見てもらえるだろうか、なんてテクニカルなことも考えてしまうのだけど、その前にやっぱり書くことがあって、きっと僕も今回の人生の中で、書ききれないことがいっぱいあるんだろうな、と思うと、もっとなりふり構わずでも、伝えたいことを伝えていなかくちゃいけないな、と思ったのです。
ばななさんのような素敵な文章にはならなくても、でも、僕の文章を読んでくれる人がいる限りは、やっぱり書くしかなくて、それを最後までやりきることを考えて、それでも、やっぱり、最後には「ああ、まだまだ書きたいことがあるのに・・・」で、きっと終わってしまうのだな、と想像できてしまうから、もっともっと書くことをしたいなと思うのです。
人生もそろそろ折り返し地点にきて、なんだかたしかに、もう限りがあるんだな、全部は無理なんだな、だったら、今回の人生はできるところまでやってみよう、と思うのです。
そんな勇気をもらうことができた本。ありがとうございます。
『大きなさよなら どくだみちゃんとふしばな5』吉本ばなな