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「正解主義」では複雑な現代社会の問題に対応できないというのは正しいが、そもそも何で「正解主義」を自分が採用しているのか気がつけるまでの道のりは遠いかも
これまでの学校教育の欠点を表す便利な言葉を聞いた。
「正解主義」物事には正しい正解が必ずあるという考え方。
学校で出される問題には必ず解答があるが、現実の世の中で起きる問題には正解があらかじめ用意されているわけではない。「正解主義」に染まると学校を出てからもその一つの正解をいつまでも求めてしまい現実の問題に対応できなくなる。
という意見を聞かされた。
その意見は正しいのだが、じゃあどうしたらいいのか?
「正解主義」から脱却しよう!と大きな声で言えば状況が変わるわけではない。それが間違ってると理屈ではわかるが、学歴社会で成功した人たちは「正解主義」だったからこそ勝ち上がる成功体験を持っている。子供の頃からとことん学校教育でたたき込まれた「正解主義」。それでうまくいったんだから成功してきたんだから、自分のその考えが間違っていると疑われることはない。だから言うだけ無駄なのだが、このままではさらに悪くなる一方だと気がついている人はいる。
この令和の時代にこれまでのやり方ではうまくいかない。大量生産大量消費社会を成り立たせていた昭和から続けてきたビジネスモデルはもう機能しない。これからも起こり続けるだろう様々な変化や困難を乗り越えていくために変わる必要があると本当に思えている人はいる。そういう人に向けて伝えたい。
じゃあどうしたらいいのか?
まず、状況が続いているのであれば正しい原因が見付かっていない。正しい原因が見付かれば、解決する方法は自ずと出てくる。それの何が問題なのかを見つける。
ここでは3つ挙げていく
1.なんとか主義はすべて固定観念である
その固定観念でうまく行く場合もあるが、いつでもそれで対処できるとは限らない。答えが一つ用意されている問題もあるし、答えを自分で探さない限りどこにもなくて、見つけたとしてもそれが正しいかどうか、教科書や先生が保障してくれるわけではない問題もある。
物事にはさまざまな状況があって、それぞれの状況で対処方法は異なる。状況に応じてどうするかは考える必要があるという態度だったら問題ない。
ただそこに固定観念を持ち込む。状況に関わらず同じ考えでもって対処しようとする。だからうまくいったりうまくいかなかったりする。
学校の中では成功できた。勝ち上がってきた。でもそれは学校というかなり特殊な社会の中での成功であって、現実のこの令和の社会では通用しない。答えが用意されているわけではない問題。
例えば、女性を食事に誘うとしたらどこに誘えばいいのか?
相手と状況によって答えは変わってくる。教科書があって答えがどこかに書いてあるわけではない。
絶対正しい決まった答えがあるわけでないし、相手の女性がその答えを持っているとも限らない。
検索したらデートにはパンケーキだと書いてあるのを見つけた。それを答えとして採用する。それでどうなるか?誘う相手のことも見ずにとにかくパンケーキ屋に誘う。
たまたまうまく行く可能性もあるかもしれない。
でも相手の好みや趣味を調査した結果見つけた炭火焼きハンバーグと比べたらうまくない。
2,問題に対する答えは正しいか間違っているかの二択ではない。答えは一つだけという訳でもない。
続く