ゆやゆよん
幾時代かがありまして
茶色い戦争ありました…
といえば、中原中也の「サーカス」である。
サーカス小屋は高い梁
そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ
頭さかさに手を垂れて
汚れ木綿の屋根のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん…
(引用は、読みやすくするため、表記を少し変えました)
見事なまでに音楽的な作品である。
曲を付けたくなるミュージシャンも、少なくないのではないか。
音楽以上に音楽的であるがゆえに、しかし、曲をつけることは、
却って難しいかもしれない。
その困難にあえて挑んでいるのは、ぼくの知る限りでは、
小室等さんと友川カズキさんくらいだ。
そのうち後者は、決定版といっても言い過ぎではないほどの、
傑作だと思う。
友川カズキその人が、詩人の魂の直系の継承者、
まさしく中也の生まれ変わりだとぼくは思っている。
「サーカス」を歌うときの友川さんは、いつもの、
胸をかきむしるような、呻き喚くような歌い方ではない。
澄んだ高い声で、比較的素直な調子で歌い上げる。
もし中也がギターを弾けたら、間違いなく、こんな曲を作って、
こんな風に歌っていたろう、と思わせるくらい自然だ。
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん…
この究極のオノマトペには、
サーカス特有の、眩暈にも似た浮遊感が結晶している。
circus は circle である。
円であり、巡回であり、眩暈なのだ。
まるいテントが唐突に現れ、各地を経巡りながら、
眩暈を残しては、また唐突に去っていく。
伊豆半島の地方都市であった。
繁華街を少し外れた公園にサーカス団がやってきた。
木下大サーカスだったと思う。
何日もかけて、少しずつ少しずつテントの骨組みができていく。
決して急がない。あるいは、じらすように。
小学生のぼくらは、傍らでその作業を眺めている。
そのうち、団員であろう作業員たちと仲よくなって、
本当は邪魔に違いない手伝いをするようになる。
ついにテントが完成する。
作業をしていたときには、ただのおっさん、
ただのお姉さんだった人たちが、ものの見事に、
華麗なステージ衣装に変身している。
もちろんぼくたちは、声をかければ裏口からそっと、
中に入れてもらえるのだ。
冗談ばかり言っていたヒゲ面のおじさんが、
空中ブランコに乗っている。
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん…
「気をつけたほうがいいよ」
と、したり顔に言うやつがいる。
「さらわれちゃうぞ。サーカスの人たちはみんな、
そうやって、さらわれてきたんだよ」
「でも、どうして逃げ出さないんだ?
逃げようと思えば簡単じゃないかな?」
「逃げて、つかまったりしたら、
ライオンの檻に閉じ込められちゃうんだ」
「食われちゃうじゃないか」
「そうさ。だからみんな、
逃げようなんて思わないのさ」
何日かすると、テントの取り壊しが始まる。
壊すほうは早い。
気がついたら元の公園になっていた。
サーカスは影も形もない。
さらわれなくてよかった。
でも、さらわれてもよかったかな…と、
少し残念な気もした。
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