【虚無への供物】(ネタバレあり)
オススメ度(最大☆5つ)
☆☆☆☆☆
〜日本の三大奇書のひとつ〜
日本における三大奇書といえば「黒死館殺人事件」「ドグラ・マグラ」、そしてこの「虚無への供物」。
実は大学生の頃に、ふと「三大奇書を制覇してやろう!」と思い立ち、「ドグラ・マグラ」を読んだことがある。「ドグラ・マグラ」はかなり難解で文章も奇妙で独特だったため、読了後は頭も精神も疲れ果ててしまい、その後残りの2つに手を出すのを諦めていた。
しかしながら、「ドグラ・マグラ」が僕の心に残したものは大きく、一度しか読んでいないしほとんど内容を理解していなかったのに時折思い出すことがあり、定期的に本をまとめて処分する時にもなぜか捨てられず、今だに「ドグラ・マグラ」は僕の本棚に在る。結果、僕が保有する本の中で1番古い本になった。
時が経って、改めて「ドグラ・マグラ」に挑戦しようと思ったが、なんとなくその前に他の奇書を攻略しておくかと思い、今回この「虚無への供物」を手に取った。
さて、前置きが長くなったが、詳細はネタバレ以降に書くとして、端的に感想を言うならば、本作は「ドグラ・マグラ」よりはわかりやすく読みやすいが、「ドグラ・マグラ」ほどの衝撃は無かった。
〜アンチミステリー〜
さて、本作が奇書と言われる所以は、推理小説でありながら推理小説であることを拒否する反推理小説(アンチ・ミステリー)の傑作としても知られているからである。
氷沼家を舞台にした連続殺人事件が大筋となるのだが、序盤からとんでもない展開を見せる。なんと、探偵役である登場人物が殺人事件が起こる前に犯人を当てると言い出すのである。
推理小説なんだから殺人事件が起きて当然なのだが、作中の世界の中でまさかそんなことを言い出す者がいるとは、驚きである。
そして、まだ起きてもいない事件を色々と空想して登場人物たちが推理合戦を始める。
さて、その序盤の推理合戦があまりにも突飛な話ばかりで、ギャグを読んでいるかのような気にさえなるのだが、これらの推理が終盤にかけて点と点を繋ぐ役割を果たす。
どこまでが空想でどこまでが現実なのか次第にわからなくなっていく模様はかなり複雑で、中盤からは何が起きて何が起きていないのかわからなくなってくる。
そして、終幕で全てが明らかになる時に、誰もがその真実に唖然とするだろう。
「ドグラ・マグラ」よりは読みやすい、と前述したが、あくまで比べた場合の話である。かなり複雑な構成になっているので、油断するとすぐに自分がどこにいるのかわからなくなってしまう。
それでも、本作は「読む価値がある」と自信を持ってオススメする。
これが50年以上前の作品だとは驚きを隠せないほど、今読んでも色褪せないアイロニーが込められた傑作である。正直、本作が「奇書」と呼ばれることで、多くの人から距離を取られるのがもったいないと思う。
以下ネタバレ
〜(ここからはネタバレ)〜
さて、どうみても自殺や事故としか考えられない氷沼家に関わる四つの死の事件。登場人物たちが様々な推理を巡らせ、四つの事件の関連性やトリックを解き明かそうとするのだが、真犯人の告白を聞くことでこれまでの探偵たちの推理が一気に覆される。
結果、真犯人の蒼司が殺したのは橙二郎ただ1人であった。他の事件は、警察などの見立ての通り、自殺や事故であったのだ。
殺人者のいない死に対して、残虐な殺人鬼の存在を前提としてあれこれと理屈をつけて、連続殺人事件に仕立て上げていたのは他ならぬ探偵たちだったのである。
作中、何度も、氷沼家の事件とは関係のない事件や事故が羅列される場面があったが、ここには「推理小説の登場人物たちは、その中から自分の推理に合うような事件を抜き出して勝手に関連つけて、劇的な事件にしようとしている」という皮肉のメッセージが込められていたのだろう。
そして、最後の蒼司のセリフが作中の探偵だけでなく読者に対しての痛烈な批判となる。
このセリフに痛ましい事件を推理ゲームとして楽しむ読者に対するメッセージの全てが込められている、と言ってもいい。
探偵小説だけでなく、現実の事件でも、悪の存在を楽しむ人々がいる。その現実はどんな事件よりも悍ましいのかもしれない。