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古の旧制高等学校・大学予科その2

前回は

大学予科とは

 東京大学が帝国大学と名を変え、基本的に大学=帝国大学であった時代は、旧制高等学校が大学予科の役割を果たしていたのですが、京都や仙台(東北)、福岡(九州)にも帝国大学が出来ると、札幌農学校を改めた東北帝国大学農科大学は、優秀な学生を確実に獲得するために、独自に大学予科を置きました。その後、帝国大学以外の大学の設置が認められると、私立大学を中心に、旧制大学設置の条件とされた大学予科の課程を設置する動きが進みます。

 大学予科の教育は、基本的に旧制高等学校と同様の外国語の修得を通じた教養教育が行われました。ただ、あくまでもその大学の予科なので、進学先は本体の大学に限定され、旧制高等学校が自由に大学が選べるのに比べて、不自由な面はありました。一方で、その大学独自の学科を配置する事も認められ、私立大学予科では、宗教系は仏教学やキリスト教学、農業系は農場実習などの、その大学の特徴を生かした学科を加え、個性を競いました。

旧制高等学校の展開

 旧制高等学校は、最初は東京大学の予備門を改称した第一高等学校から、名古屋の第八高等学校までのナンバースクールが置かれ、大正時代の拡張期には浦和や弘前などの地名高等学校が設立されました。

 また、当時は旧制中学校の4年修了で飛び級として旧制高等学校に進学できた制度を活用して、旧制中学校の4年間と旧制高等学校の3年間を抱合した、今の中高一貫校のような7年制の高等学校として武蔵や成蹊などの私立高等学校も設置されます。

 その間に、帝国大学が大阪や名古屋にも置かれ、東北大学農科大学も北海道帝国大学として独立しました。帝国大学以外の大学の設置が認められると、独立の医科大学が千葉や岡山などに設置され、更に拡張しました。

 その間、旧制高等学校の定員は旧制大学の定員より少なく設定された為に、ほぼ全員が大学に入学できる関係が続きます。エリート教育という限定された範囲ではありますが、日本式の欧米とは違った形の教養教育の爛熟期が続く事になります。

 第一次と第二次の世界大戦に挟まれた大正後期から昭和初期が、日本式教養教育の一番良い時代だったのかもしれません。

旧制高等学校・大学予科の解体

 戦後、不幸にも旧制高等学校・大学予科はエリート養成機関で、危険な思想を生み出した遠因と占領軍にみなされました。

 とんだ濡れ衣だったのですが、軍学校が徹底的に解体され、師範学校が目的の改変を迫られた様に、学制改革の一環で旧制高等学校も旧制大学への自由な進学の特権を奪われました。

 同時に、旧制高等学校自体が、第一高等学校が東京大学教養学部の母体の一つとなって、東京大学の予科としての伝統を間接的に継承したケースなど、旧制大学がが母体となった新制総合大学の予科的な教養課程へと変化するか、その地方の総合大学の一学部へと転換しました。

 私立大学を含めた大学予科も、一部を除き大学本体に組み込まれ、日本式の独特な教養教育の伝統はここに終焉を迎える事になります。新制大学に形式的に置かれた教養課程は、過去の教養教育とは違った、単なる学部教育の下請け的存在となり、やがてばらばらに解体されていきます。

今再びの教養教育

 先日の記事で述べた様に、近年国際教養学部などでアメリカ式のリベラルアーツが注目されていますが、日本式リベラルアーツとも言える教養教育が一部のエリート層だけですが、戦前には確かに存在しました。寮での共同生活での人格の陶冶や、外国語教育を通じた教養教育の内省化は、今でも通じるものがあると思います。現代では必須のデジタルリテラシーもこれに加えれば、留学は別にしても、海外の教育の真似をしなくても、新しい日本式の教養教育ができるのではないでしょうか?

日本式の教養教育の未来

 早速調べてみると、東京理科大学で似たような試みが以前行われていました。

 元々は基礎工学部の1年次を、全寮制で北海道の長万部町のキャンパスで教養教育するという理想は高いものだった様ですが、1年間の教育では十分な結果が出なかったのか、2021年度をもって閉鎖となっています。一応は別の学部の1年生と留学生を受け入れる今の流行である国際キャンパスに衣替えする予定ですが、パンデミックの影響で凍結状態です。このまま廃止となる可能性も考えられます。

 これだけ知名度の高い理科大が行っても失敗するのですから、戦前の様な日本式の教養教育を今の大学教育でそのまま行う事はやはり難しいのでしょう。

 日本式の教養教育の過去の片鱗を残すのは、東京大学教養学部と北海道大学総合教育部での総合入試組だけとなってしまいました。

 ただ、戦後の新生ですが、工業系の大学で教養教育を再生する動きがいくつかあります。東京工業大学の戦後の教養教育の在り方は、戦前の教養教育をアレンジして戦後に再生させた良い例かと思います。また、小規模ですが、国立北見工業大学も本来の工学系の専攻以外に人文社会科学系で副専門を持たせていて、教養教育を大切にしているのが伝わってきます。文系ではまだ理解が進んでいない様ですが、工学系を中心に、今の文系理系の区分では実際の社会問題に対応できないという認識が生まれつつある様です。

 パンデミックの影響で、国際教養学部の様な留学を前提にした教育は、世界の価値観の転換で変化を余儀なくされる可能性もあります。

 これからバーチャルで世界が繋がる事が一般的になれば、国内に留まっていても、外国語での意思疎通や、価値観の共有が重要な鍵になって来るでしょう。また、国際的な理解の上で、文理の境目のない広い教養がどの分野においても必須になるかと思います。

 この時に、日本式の外国語修得を基盤とした教養教育が、過去のエリート教育ではなく、だれもが高等教育にアクセスできる、ユニバーサルと言われる段階で再び生まれ変わってその姿を現すのではないかと、内心期待しています。






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