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戦後の混乱期の大学進学その1

ある青年の物語(同志社大学の場合)

 お久しぶりです。不定期にしか現れなくなっていますが、今後はできるだけ投稿数を増やしていきたいと思っています。

 さて、写真を拝借したのは現在の同志社大学です。戦後の混乱期の大学進学で制度に翻弄された人について、今回は、同志社大学を舞台に紹介したいと思っています。
 この実例に上げる人は私の叔父で、最後には学校法人の理事長まで勤め上げた、地域では名が知れた人です。
 もう20年近く前に亡くなっていますが、私が気になっていたのが、その学歴です。地元の旧制中学校を卒業して旧制同志社大学の予科に入学し、一年で修了し、新制同志社大学に入学しているのです。その後、病気療養の必要が生じ、休学ののち、退学しています。ただ、社交的な性格もあって友達が多かったからか、その後名誉校友として推薦され、同窓会名簿には載っていたようです。
 この経緯は、新制大学への移行が全国と関西で違っていたことが影響している様です。
 一般的には昭和24年に新制大学に移行が行われたとされていますが、何故か関西の旧制私立大学はその前年の昭和23年に早くも新制大学へ移行したのです。
 叔父は、そのまま旧制中学校に在学すれば、新制高等学校3年に編入したうえで卒業して、新制大学に入学できたのに、なぜ旧制中学校最後の卒業生となって、旧制大学予科を経由して新制大学に進学したのでしょうか?
 生存中にその真意を確かめられたら良かったのですが、今となっては推測するしかありません。
 おそらく、早く大学という新制高校とは違うアカデミックな環境の一員に加わりたかった事と、同志社大学が既に新制大学に移行していた安心感があったのではないかと思います。予科とはいえ大学生ですから、新制高校の一期生になった多くの友達とは一線を画した事に自己満足していたことでしょう。
 結論的には、病のため大学中退になってしまいましたが、叔父の最終学歴は旧制大学予科修了という、同年代では珍しい経歴である事がわかりました。
 教育制度の改革には、このように時代に翻弄される人々を多く生み出す事が、その後の教育制度改革でも、度々見られます。そんな、時代に翻弄された人たちの一人ひとりの例を、暫く述べていきます。
 



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たこま
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