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5-1 学の独立

 そういえば、東京学芸大学の話ばかりで、もう一つの母校である早稲田大学については殆ど触れていなかったので、暫く早稲田大学時代の話を述べていきます。

早稲田大学大学院教育学研究科について

 因みに私は意外な事にこの研究科の2期生です。

 早稲田大学教育学部は、平成元年度までは大学院を持たない学部で、進学希望者は、専攻の専門分野のある他学部の研究科に行くのが一般的でした。実際に先輩にあたる方々は文学研究科の社会学専攻や教育学専攻などに進学されていました。

 当時の早稲田大学は、学部と大学院を統合した教育研究組織として、学術院を新たに構築するという方策を進めるべく整備に入った時期で、大学院を持たない学部であった教育学部と社会科学部についても、学術院化する為に大学院の設置を進める事になりました。

 教育学部については、大学院の設置が平成2年度から認められ、まず修士課程から学生募集を始めました。博士課程については、国立大学の教員養成系大学の博士課程の設置との絡みで、平成6年度まで設置が保留されていた為に、私の在学時には修士のみの課程でした。私が修了した2年後の平成7年度から博士課程の募集が始まり、5年制大学院が完成します。同じ頃に社会科学部も大学院が完成して、全学で大学院が整備され、後に学部と大学院、研究所を統合した学術院に全学が再編され、現在に至ります。

大隈講堂での入学式

 当時はまだ大学院への進学者が爆発的に増加する直前で、学部学生の総数との比較で5%しか在籍者がいない状態でした。入学式も大隈講堂で出来る程度の人数で、半数が理工学系の院生だったので、文系の院生の座る席が少なかった事が印象的でした。一連の儀式は厳かなもので、早稲田に入った事を実感させるに十分なものでした。

 式が終わり所属の研究科毎の説明会がありましたが、そこで出会った他の院生は、早稲田大学の教育学部から、そのまま進学した学生ばかりではありませんでした。私の所属した研究室は全て学外か他学部出身者で、その後の講義や演習で出会った他の研究室の院生についても、学外出身者が意外に多く、実力のある者には広く門戸を開く早稲田の懐の深さを感じました。

 そもそも入学試験では研究計画書の提出のみ必須で、他の大学の様な指導教員の推薦書を求めていなかった事からも、実力主義の片鱗が伺えていましたので、結果として様々な院生が入学して来たのは必然でした。

学の独立を体現する人々

 そんな多様な院生集団ではありましたが、やはり全体を牽引するのは早稲田大学の学部出身者でした。学の独立を体現する学部出身の院生達は、東京学芸大学と比較にならない程の多様性を持っていました。 

 早稲田大学の学部出身者は、早稲田らしいともいえる、多様な学部の多様な学生達に常に揉まれ続けた為に、思考が柔軟でかつ個性が強く、少人数の講義・演習の中でも議論をリードするのは常に学部出身者の面々でした。その学問への貪欲な姿勢に、私などの他大学出身者は日々刺激を受け続けました。

 偶々演習で一緒になった他の専攻の院生で、東京学芸大学出身者がいたのですが、その院生も、やはり早稲田は院生集団だけでもスケール感が半端ないと感嘆していて、早く学部出身者の様に学問に貪欲な院生になりたいものだと、お互いに鼓舞し合ったものです。

 早く早稲田の学生らしくなりたいと、早稲田の街を拠点に研究活動に邁進する日々が、この先暫く続く事になります。

次回は




 


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