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国立大学民営化の頃 その1

 国立大学が民営化された頃について、私の経験も交えてしばらく述べていきたいと思います。今回はあえて有料とした部分もありますので、予めお断りしておきます。


国立大学を巡る議論前史

 戦後すぐに、当時の官立(国立)学校を、都道府県の地方公共団体に移譲する議論がありました。恐らくアメリカ合衆国での州立大学を想定した議論だったのかと思われます。

 占領軍の政策の一案だったのですが、当時は、国の出先機関だった都道府県が地方公共団体に変化するのに大変な時期でもあり、また、この案がリークされると、それぞれの学校で、教職員や学生だけでなく、地元住民からも地方移譲への反発が起きました。

 その後、例外とされた都道府県(北海道、東京都、愛知県、京都府、大阪府、福岡県)以外は、各県で一つの国立大学に統合を行なう事を条件に、全てが国立機関として引き継がれることになりました。

国立大学の設立と教職員の増加

 昭和24年に国立大学は設立されました。形態は色々ありましたが、全て当時の文部省の直轄とされ、教職員は文部教官・文部技官・文部事務官となります。

 その後、一部の県立大学の移譲や、学部の増設などが重なって、国立大学の教職員は昭和を通じて増加し、昭和60年度には、正規雇用の教員は5万人、職員は6万3千人に上っていました。その後行政改革の進行により、職員については定員の一律カットが段階的に行われ、平成15年には5万5千人まで8千人カットされています。

教員維持のための大学職員の労働環境の悪化

 教員数は現状維持か、少し増加する傾向にあったのに対して、職員数はざっくりカットされ、その減少のほとんどが、研究を下支えする技能職であった職員でした。定員の減少が緩やかだった事務官などが、その業務の大半を代行する事になります。

 私の現役時代には、事務職の執務時間の半分は、以前なら技能職などの行っていた業務に割かれていました。具体的には、郵便の仕分けやトイレ掃除といった単純作業から、研究室の維持に必要な、実験機器の管理といった仕事まで、多彩?なものでした。

 本来の、以前から事務職が行っていた業務も当然別にあり、そんな事務業務の多くは、本務の時間の終わった後の残業によって、辛うじて維持されているというのが実情でした。

 実際、そんな実情が嫌になり、部局と言われる学部や研究所に配属された、志の高い新人職員の多くは、数年で他の公務員や民間に転職したり、文科省へ転任して行きました。残った中には、私の様な使い物にならない?職員もいて、部局の事務は年々混迷を深める事になります。

 当時の部局は、今の国立大学の職員が聞いたらびっくりする様な、劣悪な労働環境で運営されていたのが実情です。公務員全体の定数削減と言う、公務員であれば避けられない嵐の中で、国立大学は、藻掻き苦しんでいたのです。

次回は


 以下は個人的な事実と感想なので、以前は有料記事としていましたが、今となってはその必要性が薄れた様な気もしますので、無料化します。興味のあるは方は読んでください。


 個人的な事について述べると、この当時に、終電まで業務をしたり、土日に職場に出向いて事務作業を行なっていた、現在の過労死レベルとしてよく挙げられる月100時間を超える残業が2年ほど続いたのが、現在の私の病気を発症させた要因の一つと考えられています。

 生来の要因もあった様なので、それだけが原因ではない様ですが、少なくとも関連性があった事は確かみたいです。過労死レベルの残業が、人の身体にいかに影響を与えるのかを体感しました。(笑)

 私以外にも、多くの職場で職員の休職者を増加させていたのが、民営化を前にした国立大学の職員の実相です。

 近年、小中高の教員や、地方公共団体の職員などの中には、過労死レベルの残業が、一部で常態化している職場もあるとの報道を耳にします。特に、パンデミックの影響で、関連する職場で増加している様です。

 公務員であるが故に、是正も不十分であろうと想像をする度に、心を痛めています。滅私奉公が公務員の定めとはいえ、滅私して滅んでしまっては本末転倒です。犠牲者をこれ以上増やさないでください。元公務員として、その事を切に願っています。

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たこま
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