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7.大学職員採用9~13年目

前回は

戻らない感覚

 かくして、9年目に突入します。
 春には普通の勤務体制に戻ります。然しながら、仕事がぜんぜん捗りません。以前は1時間で出来た仕事が1日がかりという事はざらで、ルーティンの仕事でも、うまく回すことが出来ないことも多く、一度休んでしまうと、ここまで仕事ができなくなるものなんだと、痛感しました。
 夏になる頃には、疲労の為にまたもや病欠が続き、係長と上司が直接病院に相談に来るまでに悪化し、秋ごろには再びドクターストップで再度の休職に突入してしまいます。休職という選択をしてしまった自分を、これほど恨めしく思ったことはないほど、自分を責める日々を過ごす事になります。


職場での圧力


 この年度で、理解のあった係長とその上司は異動し、翌年度の10年目にして係長もその上司も、過去の自分を知らない人となり、それからは人間関係がビジネスライクになり、感覚が戻らない私を平気で欠陥職員として取り扱われるような日々が続きます。
 先ずは、10年目の秋に復職した時に、本来春までに終わるべき仕事を、私のせいで遅れたとして、復帰後にすぐに取り掛かることを命じられたことです。復職前に私に事前に連絡があれば、早く始める手順などは説明できたでしょうから、連絡もなく完全放置されていたことはショックでした。
 その仕事を年末までにどうにかやり終えて、11年目の年には春にやるべき仕事をどうにか春の内に終わらせたのですが、ここでも仕上がりがギリギリだと苦情を言われ、私のせいで業者を変えることになってしまいました。
 その業者の方には大変申し訳無い事をしてしまったと未だに悔やまれます。翌年の12年目は新しい業者との引き継ぎもあり、その仕事は続けたのですが、どんどん肩身の狭い立場に追い込まれていきます。
 孤立無援の中で、先の事の職務怠慢?を原因として、13年目の春には係の異動を命じられ、初期にいた部門の事務室の後身の係に異動となります。
 当時は法人化されてから激務で休職する職員が増えており、大学の方針として、仕事が起因となると面倒なので、パーソナリティの問題として、大学の責任を回避する方向性へと舵が切られていたのだと思います。
 そこでは、郵便の仕分けという、本来非常勤の職員が行っている業務に回されます。その仕事自体は長年その部局にいるので、教職員の名前を覚えているだろうから易しいのではないかという配慮もあったのでしょうが、久しぶりの肉体労働は体に堪えました。
 そして、14年目を迎えて決定的な出来事が起こります。






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たこま
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