人参のおかずと私
私は人参のおかずをよく作る。人参しりしり、人参のエスニック炒め、人参の甘味噌いためなどなど。
意図して人参を選んでいるわけではないのだが、どうもしっくりくるのだ。人参を火にかける時、調味料を入れるタイミング、火から外しどき。すべてなんだか体に染み付いているような感覚で作れてしまう。
料理にはひとつひとつ思い出があって、その材料と向き合う時にその思い出を思い出してふふと笑ったり顔を歪めたりするものだ。
ちょっとだけ私と人参のおかずとの思い出話を。
飲食業に飛び込んだ私は、毎日が打ちのめされる日々だった。できない自分に腹が立ち、怒られたら怒られたでさらにできなくなってしまう臆病さにも嫌気がさしていた。料理の世界にいる方にはわかると思うが、最初当分の間は、火口(火を扱う料理の場所)には立たせてくれない。私は野菜をひたすら洗い、キャベツを千切りし、サラダを盛る日々が続いていた。(もちろん厨房の掃除もセットで。)
そんな日々が何年か続いた。
ああ、もう私はこの野菜洗い担当から逃れられないのか。火口を担当している歳の変わらない同僚の腕のやけどさえも羨ましく思っていた。
私の下積みの日々に衝撃が走ったのは、ある日の夕方。料理長が突然、「明日のにんじんのおかず、〇〇(先輩)に聞いて仕込んどいて」と言った。聞き間違いか?人間違いか?きょとんとしながら先輩に目配せをしたら、先輩は小さく頷いて微笑んだ。なんだこの微笑みは。「よかったね、やっとフライパンがにぎれるね」と言わんばかりの優しいあの先輩の微笑みは一生忘れないだろう。(今でもなお、私がもらった人生史上最高の微笑みと認識している)
そんなこんなで、私は「人参のおかず」を教えてもらったのだ。初めて仕事で火を使った料理を作った。もちろんだめだめだった。人参の水分は飛ばしきれていないし、味もぼやけていた。ただ、先輩がなおしてくれて見違えるように美味しくなった人参の味も私の舌が覚えている。
今では自分のレシピで人参のおかずが作れるようになり、食べてくれた方からも、少しずつ、「美味しかった。」という声を有難くもいただけるようになった。
出発点は変わらない。あの時なのだ。あの時、初めて人参を油をひいたフライパンに入れるジュッという音や、匂い、感覚は今でも思い出す。なんならフライパンに人参を入れるたびに思い出すくらい。とにかく、思い入れがあって忘れられないのだ。だから人参のおかずを作り続ける。
あの時の先輩や料理長の作る人参のおかずには到底かなわないわたしの人参のおかずだが、私は作り続けたい。染み付いた感覚を研ぎ澄ませて、わたしなりの人参のおかずをまた今日も作ろうと思う。
PS.人参のおかずのレシピはまた後日公開します。
taki
©️taki
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