正解探しの「正解」って?正解にしていくにはどうすればいい?
正解を探すのではなくて
正解にしていくことが大事。
おそらくどこかで見聞きした覚えのあるこの格言ですが、「正解にしていく」ってどういうことなのでしょうか?
言葉からして、自分の信じたことを現実的にしていくことなのだろうけど、どうも腑に落ちていない。
あなたもこんな風に思っているのではないでしょうか?
そもそも「正解」とは何か?
「正解にしていく」には具体的にどうすればいいのか?
この格言に込められた理について、僕なりに考察してみました。
~~~~~~~~~~~~~~~~
読んで頂いている途中でスミマセン。👨
僕、たーキンくんの本名である三木基晶は、Twitterでもそこそこタメになりそうなことをつぶやいております。💬
もしよろしければ、ちょこっとだけでものぞきに来てみませんか?
もしかすると、あなたにとっての気づきを見つけることができるかもしれません。お越しいただければ、僕、たーキンくんも泣いて喜びます。😭
~~~~~~~~~~~~~~~~
それでは続きをお読みください。😊
「正解選び」をしてしまう理由
僕たちはたまに、一つの問いに対して話し合いや議論をかわす際、この問題に関しては「正解はない」といったりします。
だけどどうして正解がないとわかっていながら答えを出そうとしてしまうのだろうか?
正解がないということは、答えは多様だということです。
おそらく僕たち日本人は、子どもの頃から「正解を選ぶこと」に慣らされてきたような気がします。
たとえば自分よりも優れた人がいて、「自分はあの人よりダメな人間だ」「あの人のように前向きに生きなければダメなんじゃないか」
など、他人(世間)が評価している理想を正解だと解釈し、その正解を選びなさいといわれてきた。
たとえば、人は誰でも幸せを望んでいますが、幸せのものさしなんて人それぞれですよね。
ところが、多くの人は他者と幸せの大きさ比べをしてしまう理由はただ一つ。
世間が評価した正解を出して、自分が他者より優れていると認識したいからではないだろうか。
正解は「いま」しか存在しない
僕たちはつい、世間が評価する正解を選択してしまいがちですが、残念ながら正解なんて基準は常に変化しています。
なぜなら、つねに、正解はそのつどの「今」なのだから。
そうじゃないですか?
実際起きている現実ですから、事実を不正解だとはいえません。
世間が決めた正解なんてのは常に変化し更新しています。
他人が評価する正解を信じていても、気づけば大きな不正解だったなんてこともありますよね?
これはダメ、こうしなければいけません、そんなの常識だ、ねばならない……
正解を出すことばかりに取りつかれてしまうのは、他人の人生を生きている操り人形です。
少し言葉が過ぎてしまいましたが、
大切なのは他人が決めた正解を出すのではなく、自分が選んだ道をどう生きるか。
つまり、正解かどうかは自分が選んだ生き方を振り返ったとき、その過去は正解だったといえるかどうかではないでしょうか。
しかし、正解か正解でないかにこだわる必要なんて一切ありません。
正解にこだわってしまうと、過去を後悔し、未来に不安が募るばかりになってしまいます。
過去のことを「あの時こうしていれば」などの「~たら、~れば」なんて意味がないですよね。
未来に対する「今からこうしていれば」といった正しい答えなんてあるはずがありません。
ある程度的を絞って仮説を立てることは大切だが、その仮説も結局は「選んだ答えを正解にする」ための手段です。
つまり、自分の選んだことにもっと自信をもって、間違いに気づいたら方向転換する勇気をもち、いつでも「いまが正解だ」という気持ちでいることが大切だと思います。
そもそも「正解」とは何をいっているのか?
さて、先ほどから正解探し、正解なんてものはない、とはいっていますが、そもそも正解とは何かを考えてみたことはありますか?
おそらくですが、「正解=答え」だと思っているのではないでしょうか?
世の中は「答え」なるものは、あいまいだったり複数あったりします。
答えは多様だということです。
しかし、ここでいう「正解=答え」というのは、あやふやではありませんか?
たとえば、「1+1=2」は分解すると、1+1は式で、2は解答です。
そこで、多くの人達が認識している「正解はない」というのは、
1+1の「式」なのか、それとも、2の「解答」なのか?
どう考えても1+1は2です。
ですが、解答が2になる式は、2+0、3-1、4÷2・・・・・
というように、数えきれないほどさまざまな数式のパターンがありますよね。
つまり、正解がないというのは、解答ではなく「式」だということ。
しかも、2のような解答は、他人が決めた解答です。
あなたが思っていた正解というのは「他人(世間)が決めた解答」のことだと思っていたのではないでしょうか?
2という解答はあくまで一つの回答にすぎません。
もし、答えに正解がないというのがなら、1+1=2とは限らず、1+1=3でも6でも100でもオッケーってことになります。
おかしいですよね。
たとえば、お店で100円のお菓子を2つ買って税抜き価格200円の買い物をしたとします。
ところが、レジの定員さんが
「正解は200円とは限りません。1000円が私の正解です。」
と言ってきたらどうします?
正解はないと諦めて支払いますか?
そんなことしたくないですよね。
しかもですよ。「正解(世間の答え)にしていくことが大事」という格言にあてはめてみるとどうなりますか?
100円のモノを買って、300円とか1000円の支払い額だとしても、それが正しいのだと思うようにしろってことになりませんか?
あなたが、楽しくもないことを心ならずもやっているにもかかわらず、それを無理やりにでも「楽しいんだ!」と自分にウソをついているようなものです。
「楽しいと言われていることに、なんとしてでも楽しめ」ってなってしまう。
1+1を3だと自分に無理やり言い聞かせたり、200円の料金なのに支払い額1000円をなんの躊躇もしないで支払うことと同じです。
世間の回答とあなたの回答は違います。
ひとり一人異なります。
そして、あなただけの唯一無事の答えは、
あなたの最終的な「目的」です。
仮にあなたの目的が、「2」だとしたら、「1+1」のような式は、あなたが目的を果たすためのひとつの「手段」。
「1+1(手段)=2(目的)」となるので、2+0、3-1、4÷2・・・というように、目的を果たす手段は多様。
正解がないのは、あなたの目的を果たすための、その「手段」は一つではないということです。
たとえば、車で行きたいところに向かう時、早くその場所に辿り着きたいその目的を果たすために、料金を支払って高速道路を利用するのが正解。
でも、同じ場所に行くにも、のんびりとドライブしながら向かうのであれば、時間がかかってもあえて遠回りするのが正解。
または、車ではなく電車を利用したり、自転車やバスを使う手段もありますよね。
すなわち、目的を果たすための手段はさまざまで、どれが正解なのかは決まっていない。
目的に辿り着くためのプロセス(手段)に正解を求めてあれこれと考えても、行動しないと意味がないということです。
正解にしていく具体的な方法とは
くり返しになりますが、正解を探してはいけないというのは、
自分が選んだ手段が正しいか正しくないのか迷っていてはいけないということ。
そして、正解にしていくことが大事というのは、
目的を果たすための手段をいろいろと模索しようということなのです。
これはつまり、目的をちゃんと明確にしておかないと、どんな手段を選べばいいのかを迷い探しまわってしまうということになります。
たとえば、「〇+△=9」の場合、9が目的だとすると、1+8、3+3、2+7・・・など、複数の式があれど、ある程度その手段は定まりますよね。
ところが、9という目的がなければその式(手段)は「〇+△=?」とこうなってしまいます。
目的を明確にしておかないと、手掛かりのないままただむやみにやっているだけで、わけのわからないことをしでかしてしまいます。
当たり前すぎることをいってますが、あなたは本当に、
自分の目的は明確になっているだろうか?
または、目指すべき目的があったとしても、それが本当に正しいのか正しくないのかを迷い、
正解(手段)ばかりにこだわりすぎてしまってはいませんか?
自分の目的がブレブレでは、その手段はそれ以上に迷うことになります。
なにわともあれ、正解探しをする以前に、「目的を明確にする」ことが大前提だと認識してください。
さて、正解を探すのではなくて、正解にしていくことが大事。
ということは、目的を果たすための手段を選ぶな。
ということですが、「正解にしていく」とは具体的にどうすればいいのでしょうか?
それは、「問いを変える」ことです。
たとえば、大人気のレストランの入り口で行列になっていたとします。
お客さんはあえて行列にならんでいるのでしょうが、それでも少しでも早く席に座りたいと思っているでしょう。
あなたがレストランの定員さんだとしたらどうしますか?
まさか、店内の食事中のお客さんに早く帰ってくれなんていえないですよね。
かといって、行列を何とか軽減しないと、お客さんは待ちぼうけであきらめてしまいます。そうなるとお店ににとって機会損失です。
そこで、行列で待っていただいているお客さんにメニューを配ってみてはどうでしょうか?
待っていただいている間、退屈しないで少しは凌いでもらえますよね。
これは店員さんが「待っていただいているお客さんの不満をなんとかしてあげたい」という目的があったからこその手段です。
もし、行列をなんとか解消したいということしか考えていなければ、「あのテーブルの客、早く帰れよ!」とか、料理の提供が遅いとか、的はずれな手段しか思い浮かばないでしょう。
そこで、問いを変えてみるのです。
この場で問題になっているのは何か?
行列になっているせいで、「この店今日はやめとこう」って帰ってしまわれて機会損失してしまうのが問題?
いや、そのお客さんはまた来てくれるかもしれないから問題はない。
店内のお客さんが長居している?
いや、それだけお店の意心地に満足されているということです。
料理の提供が遅い?
いやいや、急いで盛り付けも調理も適当にしていては美味しい料理はだせません。
その場の一番の問題は、行列で待っていただいているお客さんがくたびれていることを何とかすることです。
どうやって、待っている間のイライラを解消できるか?
という「問い」を変えてみることで、核心に迫った新たな解決策を導きだせるわけです。
「問いが変われば、答えも変わる」ということ。
正解にしていくというのは、自分の目的を果たすためにどうすればいいのか、その自分への「問い」を変えてみるということです。
他の手段はないだろうか?と問いかけ、目的を果たすための別の方法を考え実行することが、正解にしていく能力。
他人(世間)が評価している正解探しをすると、迷いが生じます。
重要なことは、正解を探すことではない。
正しい「問い」を探すことです。
間違った問いに対する正解ほど、危険とはいえないまでも役に立たないものはありません。
正解は常に「いま」ですよね。いま、自分が決断した方法を信じて実行することが正解です。
いま、一番向き合うべき「問い」を探すって、楽しいものです。ホントに。
あなたの悩みを「問い」に置き換えるだけでも、問題の糸口が見えてくるはずです。
最後に、正解にしていくというのは、
自分の願いを叶える力
~~~~~~~~~~~~~~~~
またまた最後にスミマセン。👨
僕、たーキンくんの本名である三木基晶は、Twitterでもそこそこタメになりそうなことをつぶやいております。💬
もしよろしければ、ちょこっとだけでものぞきに来てみませんか?
もしかすると、あなたにとっての気づきを見つけることができるかもしれません。お越しいただければ、僕、たーキンくんも泣いて喜びます。😭
最後までよんでいただき、
ありがとうございました。😊