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「公共的役割」への理解 もっと――フィルムアート社=編『そして映画館はつづく』(フィルムアート社、2020年)評

2020年は、新型コロナウィルス禍に席巻され、緊急事態宣言下でさまざまな人びとが苦境を強いられた一年間であった。たくさんの人びとが集まり、いっしょに何かをするような場所に大きな負荷がかかったが、本書は、そのなかでも特に映画館という場所に焦点をあて、この一年間の現場の奮闘を関係者の証言から明らかにしたレポートである。

映画館といっても、郊外にチェーン展開する大規模なシネコンから、街中でひっそりと営まれる隠れ家的なミニシアターまでさまざまだが、本書が照準するのは後者だ。登場するのは、全国各地の映画館主や配給会社、上映関係者などで、それぞれの現場の来歴とそれを受けたこの一年間とが、当人たちの生の声で語られている。山形市からはフォーラム山形、同社で番組編成を担当する長澤綾さん(1979年生まれ)のインタビューが収録されている。彼女に限らず、登場する人びとの多くが団塊ジュニア以降の30~40代で、総じて映画館や上映の世界で世代交代が進んでいることが見てとれる。

印象的だったのは、収録された語りの多くに通底する「映画館の公共性」という問題意識である。従来、営利目的の興行の場と位置づけられてきた映画館だが、実質的には、多様性や多文化を学べる社会教育的な施設、居場所のない人びとにそれを供給する場、さらにはまちづくりの拠点など、多彩な社会的役割を担っている。緊急事態宣言下で行われたクラウドファンディング「ミニシアター・エイド基金」には三億円の支援金が集まったというから、その公共性は明らかだろう。

しかし、各現場はこれまで、それぞれの自助努力においてそうした公共的な役割を担ってきたにすぎない。もちろんそれはとても素晴らしいことだし貴重なことだ。だが、果たしてそれを今後もミニシアター個々の自助に任せたままでよいのだろうか。映画館の公共性をきちんと位置づけ、公助で保障していくしくみが必要ではないか。コロナ禍は、そうした映画館という場所そのものをめぐる問いをも改めて浮き彫りにしたのである。(了)

※『山形新聞』2021年04月07日 掲載

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