革命の春――「東北の春」に向けて(16)
今年もまた、3月11日がめぐってきた。電気が止まり、街が暗闇に包まれたあの日、立て続けに爆発する原発とその顛末に恐怖し、国家滅亡という事態さえ脳裏に浮かんだあの日々から、まる7年になる。
事故後9ヶ月で野田政権により「収束宣言」が出され、その後は、再び政権を奪取した安倍政権により(「東京オリンピック誘致」という文脈のもとで)「原発はコントロール下にある」ということに一応はなった(原子力災害対策特別措置法に基づき2011年3月11日に菅内閣が公示した原子力緊急事態宣言は継続中)。
もう終わったのだからと、いつのまにか社会はあの日々の恐怖を忘れ、再び各地で原発を動かしはじめ、現在は、川内原発(鹿児島県)、高浜原発(福井県)の計三機が稼働している。一度は真剣に疑われた原発依存だが、すっかり元に戻ってしまった感がある。
しかし、ではあの原発事故は私たちの社会に何の変化をももたらさなかったのだろうか。巨大で不透明なシステムに自分たちの大事なものを預け、白紙委任するようなありかたに、本当に何の変化も生じなかったのだろうか。
ここでは、あるドキュメンタリー作品の紹介を以て回答に代えたい。3月に鶴岡市の映画館「鶴岡まちキネ」、4月からは山形市の映画館「フォーラム山形」で公開される『おだやかな革命』、鶴岡市在住の映画監督・渡辺智史さんの最新作である。
映画には、あの原発事故に学び、自分たちの暮らしとその基盤を大きなシステムから取り戻し、手づくりのエネルギー自治に着手し始めた列島各地の人びとの現在が記録されている。
描かれているのは、①原発事故で全村避難・居住制限区域となった飯館村のもと畜産農家がたちあげた太陽光発電の電力会社「飯館電力」、②同県喜多方市の酒蔵の当主がたちあげた「会津電力」、③岐阜県郡上市の小集落・石徹白(いとしろ)での住民100世帯全戸出資の小水力発電、④秋田県にかほ市の市民風車、⑤岡山県西粟倉村の森林ビジネス、等など。
マスメディアからは見えづらい、小さな変化の断片たち。しかし、塵も積もればなんとやら。たとえ蟻の一穴からでも世界は変わる。映画がていねいに切り取り可視化してくれているように、私たちの社会は、その周辺・末端において確実に変化しつつある。
となると、問題は、この動きを、より大きな文脈――例えば、政治、経済、メディア等など――につなげていけるかどうかだということになる。バトンはいまや、映画を通じてそうした現実を知ることとなった私たちに手渡されたことになる。
えっ、そんなこと言われても何もできないし…等とは決して思わないでほしい。日本は――公文書がなくなったり偽造されたりはするけれど――(いまのところまだ)民主国家であり近代国家である。実質はともかく、建前上は少なくともそうである。
ということは、その国民である私たちには(いまはまだ)主権がある。自分たちの生きかたを決めたり、その自由・安全を保障する政府に命令を下したりする決定権がある。私たちはこの決定権を(まだ)使うことができる。
どう使うか。いうまでもない。原発(のような大きなシステムへの)依存をなお続けようとするような無能な――いや、福島原発事故の顛末を思えば、それを目の当たりにしてなおそれを推進するような連中は、端的にこういうべきかもしれない。すなわち、邪悪な――勢力とそのお仲間に公的な地位から退場してもらうために、その権利=権力を使うこと。
原発マネーが出所であるようなメディアを視聴するのを減らして、手づくりの市民メディアを視聴すること。原発マネーと共犯関係にあるような経済・消費活動を減らして、顔の見える地元経済を選択すること。そして、情報収集や買い物のみならず、選挙においても、原発推進系の政治家たちを積極的に落選させ、エネルギー自治を推進するグリーンな政治家たちを大量に当選させること。
これは、実現不可能な夢のようなお話だろうか。筆者にはそうは思えない。映画が描き出したような、自分たちの身の周りから着実な自治をスタートさせた列島各地の人びとが、それを自分たちの周りだけのローカルな範囲で留めおくはずがない。グローバル化した社会では、必ずやそれらは周囲に拡散していく。
そう考えると、上記の問いは次のようなものになっていることがわかる。私たちは変われるのか、ではない。いつ変わるか、だ。革命の春はすでに始まっているのである。
(『みちのく春秋』2018年春号 所収)