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世界の見えかたを変える――松波めぐみ『「社会モデルで考える」ためのレッスン 障害者差別解消法と合理的配慮の理解と活用のために』(生活書院、2024年)評

何らかの障害のある人がいて、その人が(その障害のゆえに)やりたいと思うことが自由にできないとき、それはいったい誰のせいなのだろうか。これまで一般的だったのは、それはその人の心身の損傷(機能障害)のせいと捉える見かた・考えかたで、こうした発想の枠組みを「障害の医学モデル」という。一方で近年は、それをマジョリティに合わせて社会がつくられてきたがゆえの、さまざまな社会的障壁(社会のバリア)があるせいだと捉える枠組みが提唱され、少しずつ人びとの間に広がっている。後者の発想を「障害の社会モデル」(以下「社会モデル」と略記)という。

本書は、この「社会モデル」の視点やそれをベースにマイノリティの権利保障を行う「合理的配慮」の考えかたを知り、それになじむための最適の入門書である。著者は、「社会モデル」の啓発にライフワークとしてとりくむ研究者。人権情報誌『ヒューマンライツ』(発行 部落解放・人権研究所)に2014年から4年にわたり連載された記事「ゆっくり考えていきたい合理的配慮」を中心に、彼女がそのときどきに各所で書いたエッセイを集めた第一部、著者自身が「社会モデル」の啓発実践へと至った経緯を含むライフストーリー・インタビューの第二部から構成されている。

障害者権利条約(2006年採択、日本は2014年批准)であったり、障害者差別解消法(2013年成立、2016年施行)であったり、「社会モデル」を前提とする法制化が近年急速に進んでいる。今春からは後者の改正により、民間事業者においても合理的配慮が義務となった。しかし、法制化のスピードに日本社会のマジョリティの人権意識や障害観が追いついておらず、あちこちでさまざまな摩擦や齟齬が生じている。各地で日常的に生じている障害者へのサービス拒否――もちろんド直球の障害者差別である――やそれらのニュース等をきっかけにネットに湧き出るヘイトスピーチなどがそうだ。本書のような入門書が待たれていた所以である。

 本書は、知識が系統立てて配置され、理路整然と描かれた教科書のような本ではない。時事的なできごと――著者が遭遇したさまざまな権利侵害のシーン、関わった条例づくり運動でのあれこれ、あるいは相模原障害者殺傷事件など――に対し、「社会モデル」の観点からどんなことが見えてくるか、著者の迷いや悩み、葛藤などをも追体験するように、ゆっくりじっくり進んでいく本である。行きつ戻りつしたり繰り返しがあったりという冗長さがその特徴だが、考えてみれば、そのくらいの遅さこそが「社会を変える」というときの、適度な速度なのかもしれない。それでも確実に世界は変わってきている。あせらず、地道にいこう――そう励まされる一冊だ。(了:2024/10/18)

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