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【長編小説】六花と父ちゃんの生きる道 第五話 卵ってなに?

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 六花は向かいの卵売り場に向かう。卵十個パック、六個パック、四個パック。どれにしようか迷う。お得さで言ったらもちろん十個だけど、とても食べきれるとは思えない。六個か、四個か。間を取って、六個にしようか。そう思って、かごに入れた。

 幼い頃、卵のなかには命が入っているのだと思っていた。置いておくと産まれるのだと。でも、ほとんどの卵のなかに、命は入っていない。鶏が産み落とした、タンパク質でできた、なにか。

「変じゃない? タンパク質でできたなにか、って、なに?」
 六花はお母さんに訊いたことがある。

「お母さんもわかんないけど……。じゃあ、牛乳は? 牛から絞った、タンパク質の多い飲み物。」

「牛乳は、赤ちゃんの牛に飲ませるために、作られるんじゃないの? 赤ちゃん産んだばかりの牛からしか取れないって聞いたよ? 人間が飲んじゃってるけど。」

 お母さんは、微笑んで小さく拍手して、
「へー。六花、かしこーい。お母さん、知らなかったあ。」
 と言った。六花は釈然としない。おとななのに、知らないことがいっぱいあるの?

 お母さんは六花の頭をぽんぽんと優しく叩いて、こう言ったのだ。

「知らないことを知りたい気持ちはとっても大事だし、調べたらいいと思う。先生にも訊いてみたら? でもね、六花。この世界はストローの穴よ。」

「ストローの穴? どういう意味?」

 お母さんは微笑んだ。
「六花がどれほど物知りになったとしても、そもそも人類にわかっていることなんて、ほんのほんのちょっぴりなんだ、ってこと。ストローの穴から、空を眺めるように。確かに空だけど、本物の空だけど、それだけじゃ、空を知ってることにはならないでしょ。空は何色? 青いときも、白いときも、藍色のときも、黒いときも、赤いときもあるわ。ストローの穴から覗いていただけでは、説明ができない。」

「『無知の知』ってこと?」
 六花が言うと、お母さんは
「むーん。どうしてくれよう、このおませ娘め!」
 と言って、六花の髪をくしゃくしゃにした。

 幸せな記憶。ちょっとしたことで、こぼれ出てしまう。六花はスーパーの卵売り場で感傷的になるのも馬鹿馬鹿しいと思った。卵を手に入れた六花は、縦に並んだ乾物の類の列を、看板を見上げながら進んでいく。

「あった。」
 『小麦粉』の文字を看板に見つけて近寄っていくと、なんとまあ親切なことに、手前にたこ焼きに必要なものがひとかたまりに並んでいた。たこ焼き粉、たこ焼きソース、マヨネーズ、天かす、青のり……。たこ焼きは家族みんなの好物だったし、たこ焼き機やひっくり返す棒なども家にある。父ちゃんとお母さんと三人で、よくおなかいっぱいになるまで食べたものだ。

「父ちゃんに、ちょっとは働いてもらわなきゃ。」
 父ちゃんは、たこ焼きをひっくり返すのがとても上手いのだ。

 六花が必要なものを選びながらかごに入れているとき、左のほうで、ガシャーンという音が聞こえた。びっくりしてそちらを向くと、中年の女性がかごを取り落としてこちらを見ているところだった。かごはひっくり返り、なかのりんごとかキャベツとか、転がりだしてゆく。

けれどそのひとは、そんなことなんて全然気にも留めず、泣き出しそうな顔で六花のことをみつめ、近づいてきた。

 六花も気づいた。あれは、確か中村くんのお母さんだ。同級生の。おばさんは歩を速めて近づいてきて、
「六花ちゃん……?」
 と、消え入りそうな震える声で尋ねる。

(第六話につづく)

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