【読書感想】赤松利市『ボダ子』
2019/05/16 読了。
赤松利市『ボダ子』
著者のインタビュー記事を目にしてから読みたい気持ちを抑えきれず、新刊は買わないという自分のルールを破って買った。赤松さん曰く、100%実体験の私小説。何もここまで明かさなくても、というほどに赤裸々な私小説だった。
震災後、東北で土木作業員として働きながら一攫千金を夢見る父と、仮説住宅で暮らすお年寄りの話を聞くボランティア活動に勤しむ娘。そのボランティアで、娘は仲間から『ボダ子』と呼ばれるようになる。境界性人格障害、ボーダーのボダ子。
どういう立場でこの小説を読んだらよいのかわからないまま読み進め、立ち位置が定まらぬまま読み終わった。
大人として。
親として。
女として。
支援者として。
どれも違う気がした。役を纏ってない私自身で読んだ。共感も反発も、感じなかった。ただ、果てのない虚無感と、創作した物語では絶対に生まれない類の感情が胸に残った。
それは、痛々しいくらいの悔恨の感情だった。子育てに対しての悔悟が、文章から滲み出ていた。すべてを書くことで、自らを痛めつけている。誰が悪い訳でもない、と他人が慰めても、非は自分にあると決めているように感じた。
こういってはなんだが、ボダ子は父と母によく似た子だ。人付き合いが苦手な癖に、とにかく人を求める。
父は荒々しい性交を求めた。
母は愚痴を聞いてくれる話し相手を求めた。
ボダ子が欲しかったものは、ラストに明かされる。でも、ボダ子は要所要所でそれを欲しいと言っていた。それを受け取った振りをして、楽観的に考え続けた父親は反省すべきと思うけど、私だって他人のことどうこう言える人間じゃない。
どうこう言える人間じゃないけど、この小説を選んで読んだ人間として、「いつか」を願う。 「いつか」その時が来ても幸せになるばかりではないだろうけど、それでも、「いつか」を願わずにはいられない。
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