大型書店の歩き方
本を探したいときも、何もないときも、時間さえあれば書店へと足が向く。子どものころからの習慣なので、何を目的にするわけでもなく、ウロウロ歩くだけでも心が休まるのだ。
幼い頃は近所の小さい書店に行っていたが、いまは大型書店しか行かない。それは、時代の流れで本屋の位置付けが変わったことと、大きくなるにつれて自分自身の興味の対象が変わっていったから。いまの自分が読みたい本が、小さい書店にはないのだ。
最後はやっぱり紙がいい
「本は友達」ということばがそのまま当てはまる私にとって、書店はなくてはならない存在だ。電子書籍が出てきた時に、「紙の本はなくなる?」という議論がされていた。わたしは紙の方好きだけど、世間は電子を取るのかしら、と思った時期もあったが、紙が消えることはなかった。
紙をめくる感覚がどうのこうのとか、そういうノスタルジーに浸るわけではなく、やはり重さと厚みがあり、手の中に全てのページが収まっている物体でないと体験できないことがある。
紙であることのメリットはたくさんあるが、まずわたしは最初から順番に読めない。子どものころは特に、見開き1ページをなぜか「∞」みたいに読んでいた。文字を上から下にまっすぐ読んで、1つ隣の行に移る、ということができなかった。逆からどうやって読んでいたのかよく分からないけれど、3周は読むので、その間に何となく理解していたと思う。今はそこまで尖った読み方はしていないけれど、気づいたら目は追っているもののまったくの無意識で数ページ飛んでいるということもあるので、「何だっけ?」と思ったときにパラパラめくれる紙の方がいい。
また、最近読む本に関しては、ふと手にとって、ふと開いたページにほしい言葉や興味深い内容があったりすることが多い。棚に並んでいたりその辺に雑に積まれているのを無意識に触っただけで、特に読むつもりもなかったのが、それをきっかけにハマるという経験もしてきた。電子書籍でもランダムにページを開くことは可能だが、わたしはやったことがない。電子書籍の操作だと、無意識の動作はあまりしないものだ。電子では絶対に出会えなかったものが、紙では出会える。
社会の縮図で美術館で博物館
膨大な本が並ぶ大型書店はリアルに足を運べる社会の縮図であり、美の共演であり知の宝庫でもある。
ファッション誌
入口近くには雑誌や話題の書籍があり、人気タレントの顔がズラリと並ぶ。流行に疎くても、棚を見るだけで世代ごとのトレンドが何となく分かる。
そういえば、最近は女性誌の表紙が男性俳優やアイドルが増えてきた。たとえ女性だとしても、いまは本業モデルよりもタレントや女優の方が多い。
ターゲットの年代が上がるにつれて本業モデルが目立つのは、読者層が本業モデルが華やかだった時代の方が馴染みの世代だからだろう。
まさにわたしが10代の頃は女性モデルオンリーだったし、当時であれば、いくら好きなタレントだとしても、男が表紙のファッション誌で購買意欲がそそられるとは思えない。ファッションだけでは売れないからアイドル誌の要素も取り入れているのだろうか。女優が増えたのも、キャリアのスタートがモデルというのが増えているからだろうが、一極集中の傾向が強くなってるのも気になる。本が売れない時代に合わせた戦略だろうけど。
などなど、ちょっと調べればわかるかもしれないけど、自分なりに考えるのが楽しい。
話題の新刊
新刊やランキングの棚では小説からエッセイ、ノンフィクション、HOW TO本までジャンル問わず。出版の回転が早いので、流行を追う棚では入れ替わりが激しいが、ずっと見ているとトレンドの傾向もつかめてくる。
2020年前半は少なかったコロナ関連本も今は常連になり、ウクライナやロシア関連も当たり前のように棚を占拠しているが、もちろんほんの1,2年前までは姿はなかった。小説関係も、その前後で増えた流行のジャンルがあったりする。
しかし、たまーに、執筆から出版までにかかる時間を考えた時に、「このタイミングでこの本が出るんだ?」という謎の本のもあって、偶然なのか知らないけど興味深い。
そのすぐ近くには人気のインフルエンサーのエッセイやアイドルの写真集、レシピ本も。この話題書の棚を見て初めて知る有名人もいたりする。
スピリチュアル本も手に取りやすい場所にあり、時代は変わってるなと実感する。
小説
小説はラノベのような軽いタッチのものが増えた。
とはいえ、正直、ラノベの定義はよく分からない。調べてみると、ラノベの定義は実際あいまいらしい。雰囲気として、アニメっぽいポップな表紙と異世界っぽい雰囲気、挿絵多め、みたいなのを今のラノベというのだろうが、わたしの印象はちょっと違う。
登場人物の背景描写などが少なく、セリフとシーン描写だけで人物の喜怒哀楽を表現しているのはラノベっぽいと思っている。それをいうと、昔のラノベの方がいまのヘタな一般小説より重厚感があったりする。ファンタジーやゲームのノベライズだとしても。
ネットがない時代はそもそも書籍化することのハードルがものすごく高かったから明確なジャンル分けができたのだろうが、いまはネットのおかげで多種多様な文章が披露され、読み手の好みも細分化されているので、分け方が曖昧になってきているのだろう。
古典
私自身は難解なものはあまり読まないけれど、古典というのはその空間自体が厳かな空気をまとっているので、近くに行くだけでもいいと思っている(笑) フロアの一番奥、人の流れもほとんどないところに長きにわたって読み継がれる本が粛々と並べられている。必ずしも一般的にいわれる「古典」ではなくとも、流行りに左右されない、良書だけどあまり読まれない本というのは老舗書店ならでは。駅前の小さい本屋や商業施設には絶対に置かれていない。売れるか売れないかじゃない。あるかどうかが大事(外野が勝手なことを言いますが)。
おなじフロアなのに、こうも雰囲気が変わるものかというくらい、入口付近とは色も空気もカラーがまるで違う。料理好きなわたしが例えるのであれば、入口付近が「風変りな野菜を漬けたニュータイプの浅漬」で、店の奥は「伝統の古漬け」という感じ。古漬けは発酵の香りがする。わかりづらいか。
あと、今は置いてあるか分からないが、前は一枚ペラの地図も売られていたような気がする。昔の慣習などで書店にあって今は不要なもの、というのが他にもあったのではないだろうか。今ではなくなっているものが多そうなので、しっかり目に焼き付けておけばよかったと後悔している。
装丁だけでも見る価値あり
表紙もどんどん多様性が出てきている。
本の中身と外見はワンセットだ。よほど宣伝をしている本でなければ、まず表紙絵を見てその次にタイトルに目がいく。その一瞬で読者であるわたしたちは中身を予想している。文字のフォントや絵とのバランスも全てが詰まっているのだ。平積みの書籍の表紙はポスターとしての広告も兼ねているだろう。
マンガ調のイラストに、抽象画の芸術的なイラスト、映像化が決定したらワンシーンのキャプションなどなど小説というジャンルひとつをとっても、まったく違う趣を出している。箔押しなど「お金かかってそう」な装丁も増えた。
「映像化が決まったから宣伝にもお金かけているのかな」とか、「このイラストは幻想的で好きだな」とか、「若い人向けなんだろうな」とか、色々思いを巡らせる材料になる。
子どものころ、「紙が薄くてペラペラしているのを読んでいると、賢そうに見える気がする」という理由だけで、好きだった新潮文庫。愛読書だった赤毛のアンの表紙の絵は水彩画だっただろうか。今ではシンプルな部類だろうが、当時を思い返すと、これでも華やかな方だった気がする。シャーロックホームズなんて、もっと色数少なかったと思う。
ここまで有名な作品だと今でも表紙は比較的地味だが、現代作家の新作は装丁デザインにも力が入っているはずで、それだけレベルも上がっている。
本屋を回る身としてはバリエーション豊かな装丁を見るのは楽しい。イラストや絵、写真などが単体ではなく、あくまで本の装飾という立ち位置だからこそ光るものがある。こちらが表紙という一面しか見ていないつもりでも、絵以外のすべてをトータルして計算されたデザインであり、アート性を前面に押し出していなくても、人を意識しているという意味ではすごく良質なアートだと思う。
ちなみに「自分の作品がここに並ぶとしたら、どんな感じの装丁がいいかな」など妄想して遊んでいる。結果、わたしは抽象的なイラストや写真が好きなことが分かった。紙の本になる時のために、今のうちに材料を集めなきゃ、と(笑)
フロアによって雰囲気が違う
ところで、わたしの行きつけ大型書店だけかもしれないが、専門書のフロアだけ、やたら豪華だ。1つ下のコミックフロアとの差よ。コミックフロアの方が人口密度が高いのに、専門書フロアの方が空間がずっと広い。
初めて踏み込んだ時は、どっかの神殿か! と思った(笑)もちろん神殿というのは大げさだけれど、若き日のわたしにはそれだけ衝撃だったということ。
空間の取り方も本棚の高さも素材も違う。すべてのフロアがこういう造りだったらテンション上がるだろうが、いろんな意味である程度仕方のないことだろう。
おまけ
思い出の図書館
ところで「世界の美しい図書館」という写真集では海外の美しい図書館の様子が写真に収められているのだが、びっくりするほど優雅だ。近代的なのもあれば歴史的建造物を再利用したものもあり、現代のアレクサンドリア図書館か、と思ったり。
日本の図書館も捨てたものではなく、うちの地元の古い建物を利用した図書館は味わいがある。
がしかし、実のところマイベスト図書館は子どものころにあった近所の公立図書館。
住宅街の一角なのに、森の中のように静かで荘厳な雰囲気を醸し出し、まるで要塞だった。木が茂ったなだらかな丘を削り、2階が入口になっていた。一歩足を踏み入れるとちょっと温度が下がって空気が変わる。吹き抜けの階段を見下ろすと今行きつけの大型書店よりずっと天井が高い。入ってすぐに下へと続く階段があり、階下の窓から差し込む光が要塞の中を静かに濃紺に照らしていた。来るたびに秘密基地にくるような、それでいて身が引き締まるような図書館だった。
小学校低学年までの思い出だが、唯一無二の美しさが頭から離れない。あれを超える図書館は今後も見つからないだろう。
人生初・神保町の思い出
大型書店では、わたしの行きつけのようにフロアごとに色を出す方がめずらしいと思われ、オリジナリティはあまり期待はできないだろう。雰囲気を楽しむなら個人店や古本屋の方がいい。
うちの近所も古本の町として有名だが、数年前に生まれて初めて神保町に行ったときは、こんな場所があるんだ!? とびっくりたまげた。出版のまちとは知らず、用事ついでに友人に勧められて何となく行っただけだったのだが、古本屋もオシャレだし、大手出版社がゴロゴロあるしで、「うわ、集英社! 岩波!」など興奮しまくった。友人オススメのカレー屋さんにも行き、そこからお茶の水とか秋葉原を歩き、関西とは一味違う異世界観あるわ……と大都会を堪能したオノボリさんでした。