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自分の性質に名前をつけない
今は精神的傾向を表すことばがたくさんあって、都合がいい反面、自分を縛るものになりかねないな、とも感じる。自分のケースに当てはめて考えてみた。
無力だった子ども時代
小さい頃から自信がなく、自分はちっぽけで何の力もないと思っていた。世の中で起こっている出来事は、全て自分には関係のないことであり、自分みたいな人間がほんの少しでも他者に影響を与えることはないと信じていた。これは家庭環境が大きかったと思う。
プラスして、元々引込み思案であり感受性も強かった。本当は前に出たい気持ちがあったけれど勇気がなく、地味でおとなしい子だった。当時から人一倍強かった探求心やこだわりの強さも、表に出すことはなかった。
周囲からすると、そこまで縮こまっていたようには見えなかったかもしれない。引っ込み思案ではあったけれど、よく遊びよく食べよく寝る子だったから。でも外面は何も見えなくても、心は偽れない。物心ついたころから、いつも悪夢にうなされていた。
定期的に見た悪夢
ファンタジックで楽しい夢も見る一方、同じくらい悪夢にうなされた。今は悪夢を見るとしても、実際に起こってもおかしくないようなリアルな夢だが、子ども時代は直接的な恐怖や苦しみが多かった。
私の体は細いハリガネのような棒で、ひたすら分厚くて固い布団のようなものでグルグル巻きにされる。ストーリーのある夢を見ることが多い中、この夢はデフォルメされたイメージのような感じ。息苦しさと圧迫感がひたすら続き、起きた後も苦しみの余韻が残る。これは小学校低学年のころから定期的に見る夢で、高学年になってもたまに出てきた。
ある時は、住んでいる家の階段が地下へと続いていた。当時住んでいた家に地下はなかったはず。階段に近づくと、正面を向いた木の手すりの真ん中に、大きい目のオブジェがある。今では都市伝説でも有名なアレみたいな感じだが、当時そんなものは知らない。
不思議に思って下りると、階段はつづいている。階段は折り返すようになっているので、らせん階段のようだった。戻ろうとして上るが、上れども上れども1階にたどりつかない──。これは1回しか見たことがない夢だが、焦りと恐怖で忘れられず、毎日階段を目にするのが怖かった。
他にもあっただろうが、この2つのインパクトが強すぎて覚えていない。こんなホラーな夢を見るなんて、そうとう追い詰められていたんだろう。今のように自我も薄いため、自覚もなかったし人にいうこともなかった。よく耐えたね、と子どもの自分を抱きしめてやりたい。
社会不安障害? HSP?
家を出ると、色んな人 の出会いを通じて、少しずつ心も開放されていった。しかし、自信のなさや他者への恐怖はなんとなく消えずにいた。毎日会っていたとしても慣れない人が相手だと、しゃべりながら震えたりパニックになったりするし、数人以上が集う場所にいるといつも自分だけが場に馴染めない気がする。これは社会不安障害ってやつなのだろうか。
歳を重ねてかなり図太くなったけれど、普段行かない繁華街やイベントに行くと体調不良になる。一日仕事で何人もの人としゃべらなければいけなかったとき、フラフラになりながら帰って吐き、完全に回復するまで2,3日かかったりした。このHSPっぽい感じは、むしろ昔よりひどくなっている。
自分の感覚としては、気を張っていたり、防御態勢をしいていないとそうなる傾向がある。でもって、分かっているのにいつも無防備。
社会不安障害とかHSPとか、軽くネット検索しただけだが、まあまあ当てはまってそうだった。ただ私の場合、周りができることができないかと思えば、だれも行きたがらない場所や人に飛び込んだりもする。怖がりなくせにチャレンジ精神もあるため、勢いでいって「もう後戻りできないし」と大胆になる。そこで震えたりパニックになりそうになりながら、早く時間よ終われと思いながらもやってしまう。そして、またみっともないことしてしまったなと後悔し、しばらく引きずって忘れる。
やっぱり社会不安障害には当てはまらないのだろうか? よく分からないけど。
ウツ判定ほしさに精神科へ
20代前半の頃、ウツと診断されたことがあった。職場がまったく合わず、出社するのが辛すぎていつもギリギリまで近くのカフェで過ごし、遅刻間際に駆け込むというのが日常になっていた時だった。
それまで健康体だったのが月に1回は必ずカゼを引くようになり、上司のホームパーティーで私だけ子どもからオタフクカゼをうつされ、毎月の生理痛は激痛で仕事にならない。免疫がかなり低下していた。これはダメだと精神科に駆け込み、めでたくウツと診断してもらった。
精神科に行ったのは診断書を会社に提出するためではなく、「私はウツなのだ」と自他ともに認めるためだった。うろ覚えだが、問診は簡単なもので、「これでウツ判定してもらえるんだ?」と拍子抜けしたことは記憶にある。あと、先生が若い割にデフォルトの顔が悲しげだった。精神科に通う患者さんと毎日話していると、こういう顔になるのかな、とその時思った。
病名がつくと安心する
薬も処方してもらったが、頭のどこかで「こんなの飲んで治るわけない」みたいな気持ちがあったのだろう、最初数日だけ飲んですぐやめた。
その後の体調は忘れたが、「私はウツなのだ」と思うことが私を助けた。しばらくして退職すると、ウツだったことも忘れた。その後まったく別の件でウツっぽくなったのだが、もう病院は行っていない。というか浮き沈みが激しい私は慢性的な躁鬱なんじゃないだろうか。
自分の症状に病名がつくこと、また治療方法がある、ということは安心材料になる。それで早く良くなるなら、それでいいとは思う。でも、その病名に頼りすぎると抜け出せなくなる。ウツ診断をされた頃、「ウツである私」になろうと自ら寄せていっている気がした。自分はかわいそうだと思うことは慰めになった。みんなと同じにできなくても仕方ないよね、と。でもそこから抜け出すのは結局は自分自身だった。
私は周りに自分がウツであるとは言わなかったので、1人で向き合うしかなかったけれど、仕事をしていたら日々多くの人と接するし、自分のことなんて考えてられない時もある。その瞬間は、ウツじゃないはず。
どこかで見たことがあるけれど、ウツというのは余裕がある証拠。それは確かにと納得。悩み事だとか退屈だとかもしかり。今、けっこう退屈で悩んでいるし、たまにウツっぽい。私の場合、幸せの証なんだろう。
名前がつくのはマイナー界のメジャー
それなりに元気であり、色々な面を持つ自分を自覚できた今、よほどのことでない限り、何かの症状に自分を当てはめたくない。
ちなみに兄はいまでいうADHDに間違いない。特に幼少期は、行動も言動もカオスで手に負えないヤツだった。今も変わり者ではあるが普通にサラリーマンをして、普通に幸せな結婚をして生きている。
性格が宇宙人だからか、転勤先の中国で他の同僚が馴染まない中、兄だけは中国人に好かれていたとか。今の時代に生まれていたら、隔離されたり薬を飲まされていたのかも、なんて思うと少し早い時代に生まれて良かったなとつくづく思う。
「ADHAなどは個性だ」という説を見たことがあり、私もそれを支持している。特に精神的なものに関するマイナーな障害って、ある一定数の数が集まったから名前が付くわけで、個人まで細分化するとさすがにキリがないからつかないだけじゃないだろうか。
マイナー界のメジャーだからこそ、ともいえる。正真正銘、唯一無二の精神的傾向の苦しみは結局誰にも理解されない。で、ほとんどの人が何かしら抱えている。
ここには書いていないけれど、これまでの人生で一番しんどい時期も、精神的にちょっとおかしかったと思う。それも探せば何かの名前が付くのだろう。
諸行無常の響きあり。だから大丈夫
あと、小学生の頃に大災害も経験したことがある。当日の恐怖がこびりつき、それまでは一度寝たら何をされても起きないくらいだったのが、その後10年以上に渡って小さい物音でもすぐに目が覚めるようになった。PTSDという言葉も浸透していない時だ。子どもごころに「死ぬまで忘れないだろう」と思っていたショッキングな出来事さえ、今では冷静に見つめられる。
人もモノも環境も、全ては遷りゆくもの。むしろ、一瞬だって同じときはないともいう。「自分はこういう人間だ、こういう障害だ」ということが自分のためになったり慰めになるうちはいいけれど、そろそろいいかな、と思ったときはスッパリ捨てて次にいけばいいのだと思う。
「闇」のキーワードで見つけたこの写真のタイトルは「どんな暗闇も光に続く」。いいなと思ったので使わせていただきました。
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「繊細だ」と言われることにムカついて臨界点を越え、勢いで書いた記事です。過去、傷つきやすかった自分へのエール。