【分かるとは】グラデーションに境界線
「分かる」って、もともとグラデーションだった全体像に線を引いて領域に名をつけることと言えます。だから「分かる」って「分ける」と書くわけですよね。
ただ「分かる」が生じると全体のグラデーションが持つ性質は見えなくなってしまう。分かることで、分からなくなる。そんなコトも起こります。
文化から受ける影響とかを考えたら分かりやすいかもしれません。
国という単位、地域という単位、年代、性差、その他もろもろの区切り方によって僕らは影響を測定する。でも実は区切るとグラデーションの持つ意味には気づかなくなる。
区切ることが観測を可能にし、区切ることがグラデーション性を喪失させる。そんな二面性を感じます。
どう捉えたらイイんでしょうね。アンラーン的思考と区切る思考を往復できればイイのですが、自分に一度生まれた固定観念からはなかなか離れられない。何を忘れるかって「区切り方」を忘れてみることだと僕は捉えていますが、それが難しいんですよねぇ。
もしかしたら、同じ軸だけど複数の区切り方で捉えるアプローチは有効かもしれませんね。「長さ」をcmとinchで捉えたり、「重さ」をキロとポンドで捉えたり、そんな複数の軸でテーマを捉えてみる感覚です。
ロジカルに捉えることは世界の理解をグっと進めるけど、ロジカルに進みぎると認識が固定化されてしまう。固定化したモノを解きほぐす往復的な思考、身につけたいものです。
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