「自分が使う言葉」によって「自分の姿勢」は影響を受ける
僕はよく「なぜなんでしょうね?」という問いかけを使います。これ、「なぜですか?」という問いかけとはスタンスを分けています。あくまで個人的な使い分けであり、言葉の意味がそうだというワケではありませんが、意識しているポイントです。
この問いかけは、相手と一緒にメタ的な視点に移行して一緒に探索するチームとしてのスタンスを現す言葉です。ちょっとした違いですが、僕なりの姿勢を現しています。
直接的に相手に向ける「なぜ?」は、ともすれば相手からすると否定されているようにも感じるので身構えてしまいます。
しかも、結局は「なぜ?」に対して探索するのは問われた人だけで、問いを投げかけた相手は「探索をしない立ち位置」になってしまうと感じています。コレは僕の探索スタンスとは異なります。
「相手と一緒に探索する」を大切にしたい。相手と一緒に探検チームを組んで、一緒に相手を掘り下げる感覚なんですよね。
そのためには一旦相手と一緒にメタ的な視点に立って、一緒に相手を見つめるような姿勢が必要になります。ある意味で相手にとっては無責任に自分について考えられる状態とも言えます。
「なぜなんでしょうね」という問いかけは、自分自身にそんなスタンスを持たせてくれる言葉だと感じています。あくまで自分の感覚でありスタンスに対する思考ではあるので、この言葉を受け取った相手がどう捉えるかはまた別問題です。
ですが、自分の使う言葉の表現が自分の感情や姿勢にどんな影響を及ぼすかに意識的でいたいのです。
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