現代の地政学を学ぶ『地政学』の紹介
アメリカの地理学者サウル・コーエン(Saul Bernard Cohen, 1925-2021)は政治地理学の研究で世界的に有名だった研究者であり、例えば『分断された世界における地理と政治(Geography and politics in a world divided)』(1963; 1973)はシャッターベルトという概念を提案したことで有名な著作です。
コーエンは著作『地政学:国際関係の地理学(Geopolitics: The Geography of International Relations)』(初版2003、最新版2015)で、古典派の地政学の学説をまとめただけでなく、冷戦後の世界情勢の推移を踏まえた分析を展開しました。現代の地政学に関心がある方には見過ごせない内容です。
1 概要
2 地政学の総括
3 地政学的な構造と理論
4 冷戦とその後
5 北米と中米
6 南米
7 西欧とマグレブ
8 ロシアとユーラシアの中央地帯
9 東アジアの地政学的・戦略的領域
10 アジア太平洋地域
11 南アジア
12 中東の分裂地帯
13 サブサハラ・アフリカの分裂地帯
14 エピローグ
地政学は学問の分類としては地理学、特に特に政治と理知の関係を専門に取り扱う政治地理学の系統に属していますが、帝国主義、民族主義に影響されたイデオロギー性があるなど何度も批判を受けてきました。ただ、古典派の地政学には大陸系と英米系という異なる系統があったので、それらをひとくくりにして評価することはできません。
現代の地政学の研究で受け継がれているのは主に英米系の地政学であり、アルフレッド・セイヤー・マハン(海洋戦略思想家)、ハルフォード・マッキンダー(ハートランド論の提唱者)、ニコラス・スパイクマン(リムランド論の提唱者)などの著作が有名です。著者自身の立場もこの系統に位置づけることができます。
第二次世界大戦が終結してから、英米系の地政学はアメリカの対ソ政策に影響を及ぼしてきました。外交官ジョージ・ケナンが提案した封じ込め政策、同じく外交官ウィリアム・ブリットが提案したドミノ理論などが例として挙げられています。ヘンリー・キッシンジャーのリンケージ論は、アメリカで地政学という用語が再び活発に使われるきっかけを作り、世界各地の紛争地帯を冷戦構造の中で捉えることができるという解釈を示すものとして注目されました。
冷戦期の研究成果で今でも注目されているのはピーター・テイラーです。彼は軍事戦略を中心とする古典派の地政学から距離を置き、独自の地政学的分析を展開しました。彼の研究の新しさにはさまざまな側面があったのですが、先進国と途上国との間の貿易や投資によって生じる経済的な利害対立や搾取構造を地政学的な分析の対象として取り入れようとしたことが重要です。
テイラーの視点は、冷戦後の地政学の研究にも受け継がれており、例えばロバート・カプランは途上国が地域的に集中しているアフリカが冷戦後の世界情勢の中でどのような事態に陥るリスクを議論しています。サミュエル・ハンチントンは冷戦後の世界では文化的アイデンティティーによって国際社会のブロック・陣営が再編成されるようになると予測し、文化圏の地理的な境界で紛争が多発するとの予測を立てました。いずれも古典派の地政学にはない要素を数多く研究に取り入れた研究です。
著者の地政学には過去の研究にはなかったユニークな議論が盛り込まれています。例えば、著者は関門、出入口を意味するゲートウェイ(gateway)という言葉を使って、「中継国(gateway states)」という国家分類を設けています。これは世界の異なる地域を超えて人やモノが行き来することを可能にしている国のことを指しています。たとえその国の領土が小さいとしても、世界経済が一体化している中では、重要な役割を果たすことができます。重要なシーレーンに近接するシンガポールやパナマ、欧州連合の本部が置かれているベルギーなど、さまざまな中小国がこれに該当します。
地政学は基本的に全世界を対象とした政治地理を研究する部門であるため、その焦点はアメリカやソ連などの大国に向かいがちでした。しかし、著者は多極化が進む時代において、重要な影響力を行使できる「二等国(second-order states)」や、地域の情勢に特定の仕方でのみ影響力を行使できる「三等国(third-order states)」の役割が重要であると考え、それらの動きを分析できるように地政学の枠組みを拡張すべきであると考えていました。
もちろん、著者はアメリカのような「一等国」が繰り広げる大国間政治が引き続き重要な意味を持つことを認めています。しかし、地域限定の経済統合の動きが進み、アメリカがコントロールできない経済圏が世界各地で広がるにつれて、大国間政治だけでは世界情勢を見誤る恐れがあります。この問題意識は著者がアメリカがもはや世界各地の大国を従える超大国ではないと見なしていることからも分かります。中国はすでに著者の区分では「一等国」に位置づけられているのですが、その急速な経済成長を背景に東シナ海と南シナ海で海洋進出の動きを見せていることは単に東アジアの問題であるだけでなく、地政学的な観点から考察する必要があります。
20世紀以降の世界情勢を分析する上で地政学は有益な枠組みですが、その視点は常に現代の世界に適合するものに更新していかなければなりません。本書はそのための手助けとなると思います。
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