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ベトナム戦争におけるリモート・センサーの運用を記述したWiring Vietnam(2007)の紹介

ベトナム戦争で北ベトナムがアメリカの軍事的支援を受ける南ベトナムの対抗し、1975年には南北統一を実現することができた要因として、ホーチミン・ルートの建設を挙げることができます。ホーチミン・ルートは北ベトナムから南ベトナムの領域へと伸びる交通路であり、その途上でラオスとカンボジアの領域を通過していました。交通路の形態は細かく枝分かれした未舗装の道路であったものの、中国軍の支援の下で駐車場や宿営地などの付帯施設も建設されていき、北ベトナムから南ベトナムのゲリラに物資を輸送する上で重要な交通基盤となりました。その構成は下図の通りです。

Jacob Van Staaveren. (1993). Interdiction in Southern Laos. Center of Air Force Historyより

アメリカ軍はホーチミン・ルートを使って北ベトナムが南ベトナムに部隊や物資を移動させていることを認識し、その交通を遮断したいと考えていました。しかし、アメリカ政府の政策上の目標はあくまでも南ベトナムの体制を維持であり、戦域をカンボジアやラオスに拡大することには慎重でした。そこでアメリカ軍は1960年代にリモート・センサーから構成される警戒線としてマクナマラ・ラインを設定し、北ベトナムからラオス、カンボジアに移動する敵の移動を追跡し、これに砲爆撃を加えるという作戦を実施します。

この作戦を対象にした研究としてTambini(2007)があり、リモート・センシングの技術が現代戦にどのように応用されたのかを示す興味深い事例分析となっています。

Tambini, A. J. (2007). Wiring Vietnam: The Electronic Wall. Scarecrow Press.

この著作を執筆したのはマクナマラ・ラインをリモート・センサーで構成する作戦に参加した経験を持つアメリカ空軍の元パイロットです。著者はこの作戦の軍事的意義を積極的に評価しつつも、リモート・センシングの技術を軍事的に使用する上での課題が浮き彫りになったとも論じています。この作戦の背景として、1965年の初めに南ベトナムの沖合で弾薬などの補給品の輸送任務に従事していた偽装漁船が発見されたことが挙げられています(p. 1)。

偽装漁船は北ベトナムの港湾を出港し、南ベトナムで密かに荷揚げしようとしていたところでアメリカ軍の艦艇に拿捕されていました。その後、同じような偽装漁船が相次いで23隻拿捕され、いずれも南ベトナムの最南端に位置するメコンデルタ地域を目指していたことが判明しました。メコンデルタには、南ベトナムの支配に抵抗し、北ベトナムと連携していた南ベトナム解放民族戦線が根拠地を築いていたことから、アメリカ政府はこの勢力に北ベトナムの補給品が海路で輸送されることを阻止する作戦が必要だと考えるようになりました(Ibid.)。

アメリカ軍は1965年3月に南ベトナムへ地上部隊を上陸させ、海路も艦艇で封鎖したので、北ベトナムはまったく別の方面から補給品を輸送する必要に迫られました。北回りの交通路となるホーチミン・ルートの開発が北ベトナムによって進められたのは、こうした経緯からであり、間もなくアメリカ軍も北ベトナムが新しいルートで補給品を南ベトナムに運ぼうとしていることに気が付きました。

著者の調査では、アメリカ軍がリモート・センサーを南ベトナムでの作戦に使用することを検討するようになったのは1965年の後半としています(Ibid.: 1-2)。北ベトナムは軍需品の供給をほとんど中国に続く鉄道機関に頼っていたので、論理的に考えれば、アメリカ軍は北ベトナムと中国の鉄道を爆撃することによって、南ベトナムへの補給品の供給を遮断することが可能でした(Ibid.: 2)。しかし、この作戦は国際関係に深刻な影響をもたらす危険があったことから、アメリカ政府は補給品を南ベトナムの国境地帯で遮断する方法を模索することになりました。

南北ベトナム国境は厳重に警戒された非武装地帯を構成しており、補給品の輸送を行える余地は皆無でした。しかし、そこから西に進むとラオスやカンボジアの領域と接する無防備な国境が広がっていたので、アメリカ軍はまずそこにリモート・センサーを設置する方法を検討しました。

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