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どうすれば戦争のエスカレーションを抑制できるのかを考察した先駆的研究War(1977)の紹介

アメリカの政治学者リチャード・スモーク(Richard Smoke)は歴史上の戦争の過程を分析することで、エスカレーション管理の原則を明らかにしようとした研究者です。多くの研究者は戦争の原因を解明することに関心を寄せてきましたが、スモークが関心を寄せるのは戦争が拡大していく過程を妨げることにあります。

彼が博士論文をもとに出版した『戦争:エスカレーションを管理する(War: Controlling Escalation)』は、エスカレーション過程を分析した成果であり、敵味方に分かれた政策決定者の間で戦争の展開に対する期待に食い違いが生じていることがエスカレーションの根本的な原因であると論じています。

Smoke, R. (1977). War: Controlling Escalation. London: Harvard University Press.

この著作は、戦争のエスカレーションは政策決定者が何かを決定する際に頭の中で参照している期待によって導かれるものであり、それが現実の世界と齟齬が生じていると急激に進展していくことを明らかにした研究であるといえます。一般に新たな軍事行動を起こすことで自国が優位に立てると期待した国は「機会主義的エスカレーション」に踏み切ると考えられています(Smoke 1977: 58)。その前提にあるのは軍事的な計算に基づいて合理的に自らの利益を追求する姿勢です。しかし、このようなエスカレーションの捉え方は、当事者の意図を超えてエスカレーションが進展する原因を特定することができません。著者は歴史上の戦争の事例を定性的に分析することによって、エスカレーションを分析の失敗と結びつけて考察するアプローチを提案しています。

ここでの分析の失敗は「想像力の欠如、共感の欠如、または概念化と分析の失敗」を含意しており、これは熟慮によって回避可能なものとして位置付けられています(Ibid.: 253)。1866年の普墺戦争の事例では、オーストリアの首脳部の情報能力に欠陥があったと著者は指摘しています。当時、オーストリアはプロイセンの意図や能力を十分に分析できておらず、当時オットー・フォン・ビスマルク首相がプロイセンを大国にしようとしていることを理解できていませんでした(Ibid.: 94)。

「1860年代の半ばに皇帝フランツ・ヨーゼフ一世とその最高評議会に提出された評価は、オーストリアが実際に戦場に指向可能な兵力と、より小規模なドイツ諸国における同盟国の勢力を過大に見ていた。また、訓練された兵力の規模、統率と戦術の品質、軍事技術(火力)、後方支援など、あらゆる分野でプロイセンの軍事的能力を著しく過小評価していた。他方でオーストリアの外交官はプロイセンの基本的な対外政策の目標が何かを明確に理解しておらず、普墺戦争が現実的な可能性であり、特定の状況においてプロイセンがそれを望む可能性があることを理解するのが遅かった」

(Ibid.: 98)

結果的にオーストリアはプロイセンの行動を十分に織り込むことなく政策を決定し、戦争が勃発した後になってから軍事的な対応をとることを余儀なくされました。詳細な経過は省きますが、オーストリアは7月3日のケーニヒグレーツの戦いで決定的な敗北を喫することになり、敗色濃厚となりました。オーストリアは急いで残存した部隊を首都圏に集め、防御の準備を進めましたが、これ以上の抵抗は困難であることも理解したので、急ぎプロイセンに和平交渉を打診しました(Ibid.: 101)。

この打診を受けてプロイセンの首脳部では戦争指導の方針をめぐって意見の対立が生じました。軍部はウィーン進撃を主張しましたが、ビスマルクは当時の内外の国際情勢を考慮し、その提言を退けました。もしプロイセンがオーストリアを完全に打倒して領域を拡大しようとすれば、フランスなど他の列強の参戦を招く可能性があり、そうなればケーニヒグレーツの勝利が台無しになるとビスマルクが予想したためでした(Ibid.)。著者が示した解釈では、このような的確な情勢判断に基づいてプロイセンが自制できたことにより、普墺戦争をより大規模な戦争にエスカレートすることが防がれたとされています。

このような事例を踏まえ、著者は戦争がエスカレートする原因を政策決定者の認知に求めるべきだと主張し、特に「期待」が決定に与える影響について「当局者は明らかに、現在の出来事とその直接的な結果に関する認識だけでなく、戦争の今後の進展と結果に関するより一般的な期待に基づいて大きな決定を下している」と述べています(Ibid.: 269)。この期待は「政策決定者が自分自身によって提供しなければならないものであり、また検証することや、試験することができない」という意味で「主観的」なものです(Ibid.)。

「通常、政策決定者は、期待に大きな不確実性があり、あまりにも具体的な期待を信頼しすぎることは現実的ではないことを認識している。それでも、紛争の今後の展開とその結果に関する期待やイメージは、彼らの決定において重大な役割を果たすことは避けられない。例えば、エスカレーションを進めるか否かという決定は、暴力のレベルが上昇した場合と上昇しなかった場合で、戦争の展開に関する思考やイメージを参照しなければ下すことがでけいない。将来に対する期待は、政策決定者がより一般的な政策の内容、そして自らがとる戦略や選択肢を構築するための論理的な基礎の一部として機能する」

(Ibid.: 271)

政策決定者は、何か方針を決定する際には、その方針に伴う期待を受け入れることになりますが、その期待を手放したくなくなる心理が働くことも重要であると著者は述べています。つまり、過去の自分の期待が間違っていたとは考えたくないので、状況の進展に応じて過去の期待を抜本的に見直すことを拒否したくなるのです(Ibid.: 272)。これは「完全に論理的、分析的、または意識的ではない方法で機能するので、その影響は広い範囲にわたる」と著者は警告しており、そのような期待が暗黙の了解として政権の内部で共有されていた場合には特に政策決定に影響が及びやすいとも指摘しています(Ibid.)。

そのため、著者が提案するエスカレーション管理の手法として重視しているのは、自分と相手の政策立案者が成果として期待している期待領域(field of expectation)の主観性を考慮した上で、双方の期待領域の何が違っているのかを探ることです。著者は、エスカレーション管理のための、手っ取り早い方法を示すことは不可能であると述べていますが、戦争においては自分と敵の期待領域の違いが軽視されがちであることに自覚的であるべきであるとも論じています。この期待領域の違いに対して双方が自覚的でなければ、当事者間はエスカレーションを双方とも抑制できなくなります(Ibid.: 277)。

著者の見解は、国家の指導者の心理的な傾向を重視する最近の国際政治学の流れを先取りしたものであると評価することができます。戦争に際して指導者は白紙状態で情勢を見ているわけではなく、将来どのような事態が起きるのかについて何らかの先入観を持っているものです。そのため、自国の能力を過大評価したり、他国の能力を過小評価することを織り込んだエスカレーション管理が重要です。双方の期待領域を適正化する上で敵対関係にある当事者と真剣にコミュニケーションを図ることの重要性を再認識させる研究だと思います。

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