冷戦期のソ連軍は戦術核兵器をどのように使用することを考えていたのか?
1945年に第二次世界大戦が終結してから、ソ連の最高指導者であるヨシフ・スターリンは自らの戦時の指導者としての名声が損なわれる事態を警戒し、軍事学、特に作戦・戦術に関する調査研究を抑圧しました。この抑圧が緩和されたのは1953年にスターリンが死去し、建設的な調査研究を妨げてきたイデオロギーを取り除くことができるようになってからのことであり、この時期に核兵器の運用に関する研究がソ連で本格化しています。
まず、ソ連軍においてはアメリカ軍との戦争を想定し、核兵器の戦略的な重要性が強調されました。1962年にワシーリー・ソコロフスキーの著作『軍事戦略』において大量の核ミサイル打撃が将来の世界戦争における決定的な手段と位置付けられています。この著作の特徴は、戦争の結果が主として核打撃の応酬で決まるものと想定されていたことであり、核兵器と連携して通常兵器を運用する方法に対する関心は限定的であったことです。
しかし、1960年代の後半にこの考え方は見直されるようになり、政治上の軍備管理交渉だけでなく、軍事上の先制核使用の放棄によって、通常戦争の範囲で軍隊の運用する方法が検討されるようになりました。1970年代以降のソ連軍では、敵が核打撃を使用することが困難な状態を創出する対核機動の方法が検討されるようになり、その結果として作戦部隊を広範に分散させ、縦深性に富んだ機動打撃を繰り出す能力の開発が進みました。敵の核打撃の目標となることを避ける上で機動性は非常に重要な能力だと見なされました。
ただし、1970年代以降のソ連軍の運用において核兵器が通常兵器と完全に切り離されたわけではありません。核出力を抑制した戦術核兵器は引き続き重要な要素と考えられており、戦術部隊においては核兵器が使用される環境と、通常兵器だけが使用される環境の両方で活動できるような能力を持つことが目指されていました。
1984年にソ連で出版されたV・G・レズニチェンコが編纂した『戦術』では、フリードリヒ・エンゲルスとウラジーミル・レーニンが軍隊の運用は装備の発達によって影響を受けると述べていたことを紹介した上で、次のように核兵器の火力効果を説明しています。
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