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元少年兵が語った独ソ戦の記憶:拉致されてから絞首台に立たされるまで
1941年に始まった独ソ戦でソ連は当初、ドイツから奇襲されたことで多くの領土を失いました。この過程で多数の児童が戦争に巻き込まれており、ドイツ軍によって組織的に拉致された事例もありました。ここで紹介したいのは作家スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチが『ボタン穴から見た戦争』に記した、元少年兵の回想です。
ヴォロージャ・アムピローゴフは10歳の少年でした。庭で友達と遊んでいたところドイツ軍の兵士に見つかり、車両の荷台に押し込まれ、他の児童と一緒に鉄道貨車で輸送されました。この貨車は児童を拉致する専用の車両だったため、車内は未成年者でいっぱいでした。ヴォロージャは何が起きているのかも分からないまま親と引き離され、車内で何日も空腹に耐えなければなりませんでした。
「扉を閉めっぱなしで2日2晩走り、僕たちは何も見ず、レールにあたる車両の音がきこえただけ。昼間は窓のすき間をとおして光が入り込んできたけど、夜はあまりに恐ろしくなって、皆、泣きさけんだ。どこか、とても遠くの方に連れていかれるのに、両親は僕たちがどこにいるかも知らないんだ、と。3日目に扉が開いて、兵士がパンのかたまりをいくつか投げてよこした。近くにいた者はつかみとることができて、瞬く間にこのパンを飲み込んだ。僕は扉の反対側にいたのでパンは見えなかった。ただ、「パンだ!」という叫びをきいたとき、一瞬その香りを感じただけだ」(244頁)
ヴォロージャが乗っていた貨車は何日も走っていましたが、ある時、爆撃が始まったことで停車しました。爆撃で貨車の屋根が破れたので、ヴォロージャはとっさに脱出を決意します。友達のグリーシカと協力して、一緒に森の中へ逃げました。
しかし、ヴォロージャは自分たちがどこにいるのかを知りません。そこから夜通し森の中を当てもなく歩き続けました。翌朝、ヴォロージャとグリーシカは空腹だったため、何とか食べ物を探し出そうと探しますが、何も手に入らないまま夕方になりました。グリーシカはこの時に力尽き、亡くなりました。ヴォロージャは遺体の傍を離れずに一夜を過ごし、朝日が昇ると手で墓穴を掘り、グリーシカを葬りました。
その後、ヴォロージャは衰弱していたところをヴィテブスク州(現在のベラルーシ、ヴィーツェプスク州)で武装闘争を続けていたソ連赤軍のパルチザン部隊に保護されました。ヴォロージャはここでパルチザンの一員に加わっています。
ヴォロージャが部隊で与えられた仕事は食事係の手伝いでしたが、やがて戦闘にも参加するようになりました。ある日、パルチザンの隊長が偵察のために出した斥候がことごとくドイツ軍の狙撃によって命を落としたとき、隊長に志願して斥候に出たのです。
「パルチザンの領域から出るなり、3本のよく茂った松の木に気づいた。よく眼をこらすと、松の木の間にドイツ軍の狙撃兵がじっとしている。森から出てくる者は片はしから「片付けて」いたのだ。狙撃兵からは隠れようもないが、開けたところに現れたのは男の子、しかも麻袋なんか持っている。相手にされなかった。それで僕は来た道を、そのまますすんだ。
隊に戻って、隊長に「松の木のところにドイツ軍の狙撃兵がいる」と報告した。夜になって、一発も撃たずに奴らをつかまえて隊につれてきた。これが僕の初めての斥候だった」(246頁)
ヴォロージャがいた部隊は1943年末にナチの親衛隊に捕捉撃破され、ヴォロージャも拘束されました。ヴォロージャは親衛隊員によって激しい拷問を受け、絞首台に立たされます。しかし、その首にかけられた輪が絞りきられる直前に味方のパルチザンが駆け付け、軍医の救命措置を受けることができたため、ヴォロージャは一命を保つことができました(247頁)。
ドイツ軍は占領地の人口構成を変えて「ドイツ化」を実現するため、また強制労働に従事させるために、多数の児童を組織的に拉致しており、ヴォロージャはその被害にあったと考えられます。ソ連のパルチザンに加わった経緯についても、ソ連赤軍が前線と銃後の両方で児童の労働力を使用していたことを考えれば、当時としては例外的な出来事であったともいえません(DeGraffenried 2014)。
現在、児童の拉致はジェノサイド条約で国際法的に禁止されていますが、完全に無くなってはいません。ロシアは2022年以降のウクライナ侵攻で占領地の児童を組織的に拉致しており、2023年に国際刑事裁判所はプーチン大統領などの刑事責任を明確にして逮捕状を発行しました(ウクライナ児童の拉致の申し立て)。戦争における児童の保護は依然として重大な人道問題であり続けています。
参考文献
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『ボタン穴から見た戦争:白sロシアの子供たちの証言』三浦みどり訳、岩波書店、2016年
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