メモ 軍隊が実施する民事(civil affairs)とは何を意味するか?
軍隊が任務遂行のために部外に対して実施する活動を民事(civil affairs)といいます。戦争の歴史を扱った研究で民事に注目したものは少なく、どうしても軽視されがちですが、その成否は作戦行動の進展や兵站支援の準備に重大な影響を及ぼします。
民事の基本的な目標は任務を達成するために、軍隊の外部の個人、集団、機関と連携し、それらの能力を活用すると同時に、その能力を保護、発展させることにあります。戦時には敵国の領土の一部に部隊で占領する場面や、反対に自国の領土から住民を避難させる場面が数多く発生しますが、このような地域では治安状況が悪化し、市民生活が困窮する場合が少なくありません。速やかに法的秩序を回復し、住民の生命と財産を保護する措置を講じなければ、占領軍は補給品や労働力を安定的に調達できなくなり、防御部隊は避難民を巻き込みながら戦闘を遂行しなければならなくなります。
戦争史において民事はあまり目立たないテーマだと述べましたが、誰もその重要性を指摘してこなかったわけではありません。例えば、16世紀に活躍した思想家ニッコロ・マキァヴェッリは武力によって新たな占領地を獲得した場合、その法令と税制を変更することには慎重でなければならないと主張しています。これは既存の法律や慣習を可能な限り尊重するという現代の民事にも通じる原則と解釈できます。これまでと同じ暮らしができることを住民に期待させれば、占領軍はより容易に治安を回復させることができるようになります。
20世紀以降の戦争史では、共産主義革命を目的とした反乱が重要な問題になりますが、中国共産党の指導者だった毛沢東は日中戦争の最中に労働者、農民、青年、婦人、子供、商人、自由業者などを大衆団体に組織化することによって、作戦を支援する基盤を拡大し、反攻を準備することができると主張しました。これは民事活動に重要な機能を持たせた戦略思想の一種として解釈することができます。(日中戦争で中国共産党はどのように兵士家族の支援に取り組んだのか?も参照)
アメリカ軍は第二次世界大戦で数多くの地域に占領軍を進駐させ、大規模な民事活動を遂行しましたが、それが可能だったのは事前に民事を研究し、その要員を本国で教育訓練していたために他なりません。アメリカ軍の民事活動は1943年に発行された陸海軍の教範『軍政府及び民事(United States Army and Navy Manual of Military Government and Civil Affairs)』で定められた原則や手続きに従っていました。この教範では、民事を「組織的軍事活動を除いた被占領地の統治活動、および同地域の住民の活動」と定義した上で、「軍、軍政府などによる民間人の活動に対する監督」を民事管理と呼んでいます(邦訳、1-2頁)。
この民事管理に関しては「占領者は、戦争目的、法および秩序の維持、敵意のある住民の占領という特殊な環境にある地域の適切な管理のために必要となる服従を、被占領地の住民に要求したり強制することができる」と説明されており、その引き換えとして住民は、「彼らの個人としての自由および財産権に対するすべての不必要または不当な干渉から解放される」と述べています(同上3頁)。ただし、具体的な民事管理の程度に関しては「占領軍政府と被占領国政府との関係、官吏や住民のそれ以前の態度、軍事作戦計画、ならびにその時点の軍事、政治、経済、およびその他の状況に従って大いに異なる」とあり、具体的な状況によって民事管理のあり方は柔軟に変更する必要があることが示唆されています。
アメリカ軍の教範で民事管理の第一原則に置かれているのは「軍事的必要性」であり、作戦行動が続く限り、部隊指揮官は任務を達成できるように、非戦闘員の管理を実施することが述べられています(同上、5頁)。そのため、民事管理の最高責任者は軍の指揮官であり、その指揮系統を通じて民事担当官に命令が下達されます。指揮官は、占領する予定地に部隊を進駐させる前に、自身の幕僚を長とする民事部を司令部に置くことになっています(同上、33頁)。民事部長の基本的な任務は軍政府の組織や管理の問題を解決するために、指揮官を補佐することです。部員の規模は占領予定地域によって異なり、例えば都市化が進み、人口が大きな地域で民事管理を確立する必要がある場合は、多数の専門的な民事要員が必要です。なぜなら、都市部では経済計画、保健衛生、交通計画など、数多くの専門的業務を遂行しなければならないためです。
アメリカ軍は第一次世界大戦が終結した後でラインラントの占領地行政を経験し、民事の教育訓練を平素から実施し、専門家を確保しておくことの重要性を認識するようになりました。アメリカが第二次世界大戦に参戦した直後の1942年にバージニアで軍政学校(School of Military Government)が設置されており、すぐにドイツ、イタリア、日本の戦後復興に関する調査研究と教育訓練が始まりました。この学校で法学、政治学、行政学、地理学、歴史学などを学んだ人々が各地で民事担当官として占領地行政を担いました。その後、アメリカ軍がヨーロッパとアジアの両方の戦域で非常に複雑な占領地行政を担うことになったことを考えれば、これは実に先見性がある措置だったといえます。
日本の防衛政策の場合、外国領土で民事活動を実施する状況を想定する必要はありませんが、本土防衛戦という文脈で自国民の保護や避難を主体にした民事活動は検討する価値があるテーマでしょう。ウクライナではロシアが市街地や電力インフラを目標としたミサイル攻撃を繰り返していますが、このような状況でどのような民事活動が可能なのかを検討することが必要だと思います。また、軍事学全体の発展のためにも、戦争の歴史において民事が作戦や兵站に与えてきた影響をより包括的に検討することは有意義でしょう。まだこの分野には体系的に分析されていない論点が数多く残されており、特に反乱・対反乱の成否に関わる影響があると思います。
参考文献
Field Manual 27-5: United States Army and Navy Manual of Military Government and Civil Affairs. U.S. Government Printing Office.(邦訳『米国陸海軍 軍政/民事マニュアル』竹前栄治、尾崎毅訳、みすず書房、1998年)