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転覆工作とは何か? それで何ができるのか?

転覆工作(subversion)とは、外国の政治的、社会的、経済的、軍事的、宗教的な集団などを誘導、指導することによって、その国の政策決定、政権交代、体制変動などに影響を及ぼす試みです。

歴史的な起源ははっきりしませんが、冷戦の歴史を通じてアメリカとソ連が密かに実施していました。政治戦(political warfare)という用語が使われていたこともありますが、この用語は今では廃れているので、以下の議論でも転覆工作で統一します。

この分野の研究ではポール・ブラックストック(Paul W. Blackstock)が先駆的な存在であり、彼の著作『転覆工作の戦略:他国の政治を操作する(The Strategy of Subversion: Manipulating the Politics of Other Nations)』(1964)は、転覆工作を「標的国の内部で多数の政治的、社会的集団が抱いている忠誠心を衰退、解体し、理想的な条件の下で、侵略国の象徴と制度に忠誠心を抱かせるようにすること」と定義していました(Blackstock 1964: 56)。

この定義は特定の文脈に依存しておらず、転覆工作に共通するメカニズムを適切に捉えています。実力行使によって国家体制を全面的に転覆させ、政治制度を一変させる伝統的なイメージは、多種多様な転覆工作の一つでしかないと彼は考えました。つまり、実力行使によらずとも既存の個人や集団が忠誠心を感じる対象を何らかの程度で変化させることができる方法があるならば、たとえ政権交代のような具体的な政治的成果に結びついていないとしても、それは転覆工作の一つとして見なすことができるのです。

ちなみに、このような見方は1972年に出版されたBeilensonの著作『転覆工作によるパワー(Power through Subversion)』にも引き継がれており、外国の政府を打倒せず、動揺させるだけの転覆工作もあり得ると想定されています。

ブラックストックの議論に話を戻すと、彼は転覆工作の具体的な手法として「国内における個々の政治的な集団、団体、派閥、国民国家そのもの、あるいは多国籍集団に対する支配(control)を拡大すること」の意義を強調しています(Ibid.: 43)。ただ、支配だけが転覆工作のすべてではありません。潜入(infiltration)という手法があり、これは「操作することを目的として干渉勢力の工作員により、特定国の内部で政治的、社会的集団に意図的、計画的に入り込むこと」を意味します。また、プロパガンダと説得(propaganda and persuatsion)も一つの手法として説明されており、「特定の集団の信念、思考、行動に影響を及ぼすため(中略)ニュース、情報資料、特殊な議論を計画的に拡散させること」と論じられています。転覆工作が通俗的なイメージに反し、必ずしも非合法的な措置に限定されていないことは、現代の転覆工作を理解する上で重要なポイントです。

ただし、ブラックストックは肝心の転覆工作の効果に関して懐疑的な立場をとっており、ロシア、ドイツ、アメリカなどの転覆工作の歴史的事例を踏まえた上で、多くの場合において転覆工作の試みは成功しないと指摘しています。彼は出版当時の多くの研究者や実務家が転覆工作の効果を「ひどく過大評価している」ことを問題視していたほどであり、その成功率に関して幻想を抱いてはならないと警告していました(Ibid.: 304)。

実際、アメリカやロシアも転覆工作で数々の失敗を重ねており、成功を収めることができたのは、標的国の内部によほど強力な足場を築くことができた場合に限られています。最近の事例の分析としては、Götz(2016)が1991年から2014年にかけてロシアがウクライナの政界に対して転覆工作を仕掛けてきたことを論じていますが、結果的には親ロシア政権を安定的に存続させることに失敗しており、そのためロシアは2014年に武力に訴える戦略へ切り替えることを余儀なくされました。

軍隊を運用することに比べれば、転覆工作は費用対効果に優れているように見えますが、対外政策の手段として信頼性が十分ではないということを考えると、それが活用できる場面は自ずと限られてくるので、安全保障上の脅威として過剰に恐れる必要はありません。ただ、そのような脅威があるということは認識しておかなければならないでしょう。

参考文献

Blackstock, P. W. (1964). The Strategy of Subversion: Manipulating the Politics of Other Nations. Chicago: Quadrangle Books.
Beilenson, L. W. (1972). Power through Subversion. Washington, D.C.: Public Affairs.
Elias Götz (2016) Neorealism and Russia’s Ukraine policy, 1991-present, Contemporary Politics, 22:3, 301-323, DOI: 10.1080/13569775.2016.1201312

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武内和人
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