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クラウゼヴィッツは軍の組織構造をどのように分析していたのか?

軍隊の指揮官は戦闘任務を自分一人で完遂できないので、その内容を吟味し、適切な分析を加え、要素に分解し、指揮下部隊に分担させる必要があります。この際に戦闘任務に応じた組織構造を選択します。

この際に指揮官は任務、敵情、地形などの状況を判断し、効率性と融通性の最適なバランスを見極めながら、妥当な部隊の組織構造を選びます。ここで大事なことは状況の変化に柔軟に対応するためには、可能な限り指揮下部隊を多くの単位に区分した方がよいものの、一人で運用しなければならない部隊が多くなりすぎると、動かしずらくなるということです。

カール・フォン・クラウゼヴィッツは野戦軍、つまり戦地で独立的に作戦行動を遂行できる大単位部隊の軍を戦闘のために編成する際に直面する問題を数値例も交えて分析しています。

軍は複数の部隊に区分する必要がある

まず、戦地では全軍を一つの部隊として運用することはあり得ません。陸上戦で軍が独立行動をとるなら、前後左右の警戒が欠かせないのです。主力を中心に前衛、後衛、側衛を前後左右に配備し、主力を敵襲から掩護することが作戦の基本となります。このような場合、クラウゼヴィッツは、全軍を8分割することが最も妥当な方法と考えられると述べています。

「つまり、コンスタントな必要事としてまず1部隊を前衛とし、3部隊を各々右翼、中央部隊、左翼として配置して軍の主力たらしめ、2部隊を後衛とし、残る2部隊の一方を右翼掩護にまわし、他方を左翼掩護にまわすのである。これらの数や形態にいたずらに拘泥して過大評価するわけではないが、少なくともこれが最も普通にして常に繰り返される戦略上の配備であり、したがって最も有利な区分法であることに間違いはない」(邦訳、上巻439-440頁)

クラウゼヴィッツの説明を図解すると、おおむね下の略図のようになります。それぞれの部隊は師団に相当しますが、当時の師団は現代の師団とはまったく機能や構造が異なっている点に注意してください。上に位置する師団が前衛で、下に位置する師団が後衛です。中心に主力となる師団が位置し、その左右両翼に側衛となる師団が展開し、それぞれの背後には1個ずつ師団が掩護部隊として控えています。このような相対的な位置関係をまとめて戦闘陣、あるいは単に陣形といいます。

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クラウゼヴィッツ自身は詳しく解説していませんが、このような戦闘陣は軍が敵地を行進する場合によく使われるもので、どの方向から敵と遭遇した場合であっても、最低2個師団は予備として後方地域に拘置できるように設計されています。状況の変化に応じて戦力を柔軟に運用することができるように工夫されています。

軍の編成に柔軟性を持たせることの限界

この戦闘陣の柔軟性を向上させたければ、より細かく部隊を区分して運用することも理論的には考えられます。しかし、クラウゼヴィッツはそこに難しさがあると指摘しています。

一名の軍司令官が8名の師団長に命令を下達し、全軍を運用することは簡単なことではなく、ましてや10個の師団を運用することは「とうてい考えられないことである」ためです(同上、上巻410頁)。クラウゼヴィッツは、一軍の司令官が指揮できる部隊の数は平均して8個師団程度と考えており、それを超えると部隊間の調整が著しく難しくなると考えました。

さらに詳しくクラウゼヴィッツの見解を調べてみると、戦術の単位となる旅団以下の部隊も大きくなりすぎてはいけないという別の制約があったことが分かります。旅団を適切な規模に抑えるためであれば、軍を10個の師団に区分することも妥当だと認めているほどです。

ちなみに、旅団が戦術の単位部隊として機能するためには、5000名以下でなければならないとクラウゼヴィッツ自身が述べているので、この数値が一つの基準となります。5000名が上限である理由に関しては、クラウゼヴィッツは戦場で指揮官が部隊を統制できる数に限界があるためだと説明しています。また、5000名を超える部隊には砲兵を支援につけることが慣例となっていることも理由としていますが、ここではその理由は割愛します(同上、上巻441頁)。

旅団の適切な兵力規模が決まっているため、軍の総兵力が大きくなるほど、師団の数、あるいは旅団の数を増やさざるを得ません。20万名の兵力を有する軍を10個師団に分ける編成を考えてみましょう。1個師団あたりの兵力は2万名になります。この師団を例えば5個の旅団に区分するなら、各旅団の兵力は4000名です。この編成には不均衡がありません。

20万名の兵力を8個師団に分けてみます。1個師団あたりの兵力は2万5000名、1個旅団あたりの兵力は5000名となるため、まだぎりぎり許容可能です。

しかし、軍の総兵力が30万名になると、10個師団に分けたとしても、1個師団あたりの兵力は3万名になり、5個旅団に区分すると1個旅団あたりの兵力は6000名となってしまいます。わずかな手直しで済ませたいなら、師団を6個旅団に分ける編成の方がよいでしょう(ただし、クラウゼヴィッツは軍司令官以上に師団長の通信の手段は限られているので、師団を構成する旅団は5個以下であることが望ましいとも述べていますが)。

このような小さな編成の変更ではどうしようもないほど大きな兵力、例えば80万名の兵力を抱えた軍を運用する状況を想定しましょう。このような大軍を運用するなら、10個師団に分けると1個師団の兵力は8万名、さらに5個旅団に分けると1個旅団あたりの兵力は16000名になってしまいます。旅団を5000名以下に抑えるのであれば、16個旅団を編成する必要があり、これは師団長が指揮統制できる限界を大幅に超えてしまい、戦闘の編成として不適切です。

クラウゼヴィッツは、このような場合であれば、師団の上位に軍団を設け、新たな指揮の階層構造を追加することが考えられると論じています。つまり、軍司令官は軍団長を介して師団長を動かすのです。

軍と師団の間に軍団が介在することの影響

まず全軍を4個の軍団に区分し、1個軍団あたりの兵力を20万にすれば、あとは各軍団を8個師団に、各旅団を5個旅団に分けると、1個旅団あたりの兵力を5000名に抑えることが可能です。ただし、軍司令官が軍団長を介して師団を動かそうとすると、自分で師団長に直接的に命令を下達していたときよりも、軍司令官の本来の意図の通りに運用することが難しくなると指摘しています。

「もちろん、最高司令官の直接指揮かにある高級将校が3名ないし4名にすぎないのならば、軍の指揮(および各部隊の指揮)は極めて容易になるかのごとく思われる。しかしこの容易さは最高司令官にとって二重の意味で重荷になる。第一に、指揮命令の伝達される階梯が長ければ長いほど、その速度、力、精確さはそれだけ失われてゆく。すなわち最高司令官と師団長との間に軍団長が介在するような場合がこれである」(同上、上巻440頁)

これは組織構造の特性として当然の帰結であるといえます。もし軍司令官の意図が軍団長によって誤解されたならば、師団長に軍司令官の狙い通りに動けるわけがないので、さまざまな混乱が生じる原因となり得ます。これが垂直的な方向に組織を拡大することの弊害です。

もう一つ興味深いのは、軍司令官があまりにも少数の指揮官に頼らざるを得ない場合にも、軍司令官の権力や権威が損なわれることになると指摘している点です。

「第二に、最高司令官に直属する高級将校の活動範囲が大きければ大きいほど、最高司令官の本来の権威と権力はそれだけ失われてゆく。10万の兵員を8個師団に分けて指揮する最高司令官の権力は、10万の兵員を3個師団に分割した場合よりも、はるかに大きい。その原因には種々な根拠があるだろうが、最も重要な原因は、指揮官という者は己れの指揮する部隊にある種の所有権をもっているかのように信じ込み、その部隊の一部がわずかの間でも彼の指揮からはずされんとするや、ほとんど必ずといってもいいくらいそれを拒む傾向があるものだからである。いささかでも実戦の経験がある者なら、この事実は容易に理解し得るであろう」(同上)

軍隊では、指揮官が部下に対して命令を一方的に下達することができるというイメージがあるので、上官の決定を部下が拒否する場合があるというクラウゼヴィッツの記述は意外だと思います。2個の軍団を指揮する軍司令官は、4個の軍団を指揮する軍司令官よりも部下の抵抗を受けやすく、自分の意図を貫徹することが難しくなると考えられます。

これを避けるためには、あらかじめ軍司令官に直属する部隊を確保しておくか、あるいは軍団長の数を増やすような編成が好ましいでしょう。いつでも指揮官を解任し、別の人物に交代できるように準備しておくことも、一つの対策となり得ると思います。

参考文献

クラウゼヴィッツ著、清水多吉訳『戦争論』上下巻、中央公論新書、2001年

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