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モスクワで米国大使が見たウクライナ侵攻の始まり:Midnight in Moscow(2024)の紹介

ジョン・J・サリバン(John J. Sullivan)は、2022年にロシアによるウクライナ侵攻が始まったとき、モスクワで在ロシア大使館で大使を務めていた人物です。彼の回顧録『モスクワの夜(Midnight in Moscow)』(2024)では、そのときの体験が詳しく述べられており、アメリカの対ロシア外交を担う上でさまざまな困難があったことが語られています。

Sullivan, J. (2024). Midnight in Moscow: A Memoir from the Front Lines of Russia's War Against the West, Little, Brown and Company.

サリバンは共和党の政治家であり、コロンビア・ロースクールで法学博士を取得して以来、安全保障、外交政策の分野で経験を積み上げてきました。この回顧録は自身の経歴のあらましから始まり、彼が外交の分野に情熱を注ぐ中で、米露関係の問題に取り組むことを希望するようになった経緯が示されています。2019年にはマイク・ポンペオ国務長官に次期ロシア大使の候補として見出され、ドナルド・トランプ大統領もその人事を了承しました。

サリバンはロシア政府関係者と交渉することが、いかに難しいことであるかを具体的な例と共に説明しています。第3章では大使に正式に任命される前年の2019年の7月17日にロシア外務省のセルゲイ・リャブコフ外務次官と会談したときに、どのようなやり取りがあったのかが明らかにされています。この会談で話し合われた議題の一つに核兵器の問題がありました。

サリバンは、ロシア軍が整備する非戦略核兵器に歯止めをかけるため、米露間で軍備管理交渉を推進したいという考えがあり、ロシア軍が保有する低出力の核兵器をどのような考えに基づいて整備しているのかを質問しましたが、リャブコフは質問に対して表情一つ動かすことはなく、この議題で外交交渉を進めることに興味を示しませんでした。サリバンはロシア政府関係者との交渉において忍耐が試されることを教えられたと当時の会談を振り返っています。

2020年1月にモスクワで大使に就任してからも、サリバンはさまざまなロシア政府関係者と協議の機会を求めますが、外交関係を発展させることは容易なことではありませんでした。2020年の時点でロシアはウクライナからクリミア半島を武力で奪取しており、さらにウクライナ東部では分離独立勢力を軍事的に支援する政策を実施していました。このため、ウクライナの外交政策ではロシアに対する安全保障を実現するため、北大西洋条約機構(NATO)に加盟することを目指していました。2019年にウォロディミル・ゼレンスキーがウクライナ大統領に就任したときも、ウクライナはNATOへの加盟を目指す方針を確認していますが、ロシア外務省は、このような動きに反対する姿勢をとっていました。

サリバンは大使に就任した当初から、このウクライナの問題を外交的に解決することに関心を持ち、交渉の糸口を探っていました。第4章では2月4日にロシア大統領に直属する安全保障会議ニコライ・パトルシェフ安全保障会議書記との会談でもサリバンはウクライナの問題を取り上げようとしましたが、パトルシェフはウクライナの内政問題であるという立場を堅持したため、アメリカと交渉する姿勢は見せていません。その後も、サリバンはモスクワにおいて多くのロシア政府関係者と会談の機会を得ていますが、ロシア政府の公式の立場を譲らない姿勢は、誰にでも共通して見られたことを述べています。

サリバンは2月5日に初めてプーチン大統領と言葉を交わしていますが、その第一印象として67歳のロシア人男性にしては珍しいほど健康的な外見だったと述べています。サリバンは、この機会を利用して再び米露間で軍備管理の交渉を持つ可能性を探っていますが、プーチンはそれにまったく興味を示しませんでした。それよりもプーチンが関心を持っていたのは、5月9日の戦勝記念日にトランプを招待することでした。

サリバンはプーチンの政治思想について興味深い分析を展開しており、彼が政治的にも、また感情的にも第二次世界大戦の歴史においてソ連が成し遂げた偉業を誇りにしていることの意味を指摘しています。プーチンは自身をロシアそのもののように考え、ロシアに対する脅威は自分に対する脅威のように解釈します。また、ソ連の秘密警察チェーカーを自らの政治的原点としていることも、西欧の指導者には見られない特徴として描き出されています。

サリバンは、このような指導者によって統治されているロシアの政治状況を踏まえ、今後のアメリカの外交政策に関する見通しについて本国に報告しています。その際にサリバンは、プーチンが首脳級での外交に対して前向きになっていることを伝えますが、2020年のアメリカ政府は新型コロナウイルス感染症への対策、そして2020年大統領選挙の運動に奔走していました。

2021年にトランプを負かして当選したジョー・バイデン大統領が就任したとき、サリバンは改めて米露関係の再構築に向けた首脳会談の実現を支援し、その成果として2021年6月にジュネーヴで首脳会談が実現しています。しかし、当時のバイデン政権にとっての難題はアフガニスタンに展開していたアメリカ軍の部隊を完全に撤退させることであったため、バイデン政権になってからも対ロシア政策について十分な政治的注意が払われていたとはいえないことも指摘されています。

本書の内容で2022年のウクライナ侵攻と直接的な関連があるのは第10章と第11章です。この部分を注意深く読むと、当時のロシア側の動向をサリバンがどのように観察していたのかが分かります。まず、アメリカ軍が2021年8月15日にアフガニスタンから撤退したことで、アフガニスタンではタリバンが20年ぶりに政権を獲得しました。アフガニスタンでの出来事を受けて、8月19日にパトルシェフ安全保障会議書記はコメントを出していますが、それはアメリカがアフガニスタンと同じようにウクライナを見捨てるだろうという見立てが語られていました。しかし、この時点でサリバンはロシアがウクライナの問題で大規模な武力攻撃を加える可能性があると考えていたわけではありませんでした。

サリバンがロシアがウクライナに本格侵攻する準備を進めているという機密に初めて触れたのは、10月25日にワシントンで緊急に召集された国家安全保障会議の席上でした。当時、サリバンはモスクワにあるアメリカ大使館からビデオ通話で会議に参加していましたが、そこでロシアがウクライナに対する攻撃を準備しているという衝撃的な警戒情報を知りました。

バイデンは状況説明を受けてから、中央情報局ウィリアム・バーンズ長官をモスクワに派遣すると決定し、サリバンにはバーンズ長官のロシア訪問を支援する任務が与えられました。バイデンは、ロシア側の動きをアメリカが把握していることを伝えることで、ロシアを思いとどまらせようとしたのですが、サリバンはこの時期から戦争の可能性について真剣に考えるようになりました。

2021年12月1日、プーチンはアメリカとNATOがロシアの安全保障の問題を軽視していることを公然と非難します。これは2021年6月の米ロ首脳会談で持ち出されなかった問題でしたが、サリバンは外交的解決の可能性を探るため、12月15日にリャブコフ外務次官と会談しました。リャブコフは新たな条約案を提示した上で、2日後の17日に交渉をジュネーヴで始めたいと告げてきました。

この時、サリバンは提供された案がすべてロシア語であり、翻訳や検討には時間を要するため、その日程で交渉を行うことが難しいと理解を求めました。また、ウクライナの問題についてリャブコフと率直に話し合いたいと伝えますが、リャブコフは自分にはその問題を協議する権限がなく、ドミトリー・コザク大統領府副長官だけが協議できると説明するだけでした。

サリバンはリャブコフと外交交渉を継続するため、条約案を急ぎ検討しました。そこでは、NATOの東方拡大を防止、旧ソ連構成国のNATO加盟を認めないことに関して、アメリカがロシアに保証を与えることが盛り込まれていました。サリバンの報告を受けて、バイデンはロシア側との外交を希望したので、日程を調整することを逆提案し、2022年1月10日にジュネーヴで外交交渉を開始することはできました。ただ、ロシアが従来の立場を崩すことはなく、外交的な合意に辿り着くことは非常に困難な状況でした。この交渉が進んでいた1月17日には15万名のロシア軍がウクライナの国境付近に展開していました。

緊張が高まる中での交渉でしたが、ロシア側が3度にわたって協議に派遣した外交官はいつも違う人物であり、何の進展も得られませんでした。1月19日の記者会見でバイデンは改めてロシアに対してウクライナへの大規模侵攻を思いとどまらせるためのメッセージを発しており、2日後の21日にはジュネーヴでアントニー・ブリンケン国務長官とセルゲイ・ラブロフ外務大臣がジュネーヴで会談し、書面で交渉が続けられましたが、この時期にサリバンは一連の交渉でロシア側に問題の平和的な解決を図る意思がなく、戦争は不可避であるという確信を抱き始めました。

このような背景から、2月4日以降にサリバンは外交活動の主軸をロシア側との外交交渉から邦人支援に切り替え、アメリカ商工会議所(AmCham)を通じて事業者に呼びかけています。しかし、多くの事業者はサリバンの警告に懐疑的な態度でした。これは当時の事業者の多くはプーチンが単なる交渉の一環として脅しを仕掛けているにすぎないと考えていたためであり、ロシア軍をウクライナに侵攻させるとはなかなか想像できなかったためです。

2022年2月23日の夜から24日の未明にかけて、サリバンは大使の邸宅であるスパソ・ハウスで眠ることなく待機していました。大使館に勤務していた駐在武官からプーチンが戦争を開始したことを意味するコードが電話で伝えられる手筈になっていたためです。そのコードが電話でサリバンに伝えられたのは深夜を過ぎてから数時間後のことであり、ロシア政府は朝の6時前の緊急発表でロシア国民に「特別軍事作戦」が開始されたと告げています。

このときのサリバンは専門家の分析を踏まえ、ウクライナがロシアに抵抗することは不可能という見方を持っていました。そのため、ウクライナは1968年のソ連によるチェコスロバキア侵攻のような事態になると予想しており、戦争の長期化を想定していませんでした。ところが、キーウの戦闘でロシア軍がウクライナ軍に敗退したことにより、事態は思わぬ方向へと展開することになります。

この著作は、著者自身の体験を基本にしていますが、当時の米露関係、そしてウクライナの情勢の推移に関する叙述をバランスよく取り入れることによって、広い視野を持った回顧録に仕上がっています。そのため、2022年以降にウクライナの問題に関心を持つようになった読者にとっては、米露関係がどのように展開する中でウクライナ侵攻が起きたのかを理解するのに役立つと思います。著者の立場は共和党であり、トランプによって任命された外交官ではありますが、自身の党派に囚われることはなく、トランプとバイデンのいずれにも対ロシア政策では問題があったことを指摘しています。

この著作から学べることはたくさんありますが、やはりロシアとの外交交渉を運ぶことの難しさが分かることが最大の特長だと思います。2021年にプーチンはバイデンと首脳会談を行いましたが、それが年末から2022年2月にかけての危機の回避に寄与しなかったことは、プーチンが外交をどのような考え方に基づいて操っているのかを示す重要な例だと思います。アメリカでも高く評価されているので、今年には日本語で翻訳が出版されるのではないでしょうか。

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武内和人
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