政治家の収入源を知ることが、政治史の理解を深めることを示した『合衆国憲法の経済的解釈』(1913)の紹介
一見すると政治の世界で起きている対立は価値観や主義主張をめぐる対立のようですが、その背後にあるのは人々の生活であり、特に経済的な利害が関係していることが少なくありません。
19世紀末から20世紀初頭にコロンビア大学で活躍したチャールズ・ビアード(1874~1948)教授は、アメリカ史を専門領域とする政治学者であり、それぞれの政治家が自身の経済的な利害に基づいて政治行動を選択していたことを実証的に検討したことで知られています。
ビアードは『合衆国憲法の経済的解釈(An Economic Interpretation of the Constitution of the United States)』(1913)では、アメリカの建国に携わった憲法制定者たちが、それぞれの保有資産によって政治行動を調整したていたと主張しました。この記事では、彼の研究成果の一部を紹介し、政治史を理解する上で彼の視点がどのように役立つのかを示してみたいと思います。
Beard, C. A. (1913). An Economic Interpretation of the Constitution. Routledge.(邦訳『チャールズ・A・ビアード』池本幸三訳、研究社出版、1974年)
アメリカでは憲法こそアメリカの基礎であり、その歴史的な意義を愛国的に解釈する見方が主流でしたが、20世紀の初頭に政治学者は続々とこの見方に挑戦し始めていました。アメリカの政治学で指導的役割を果たしたシカゴ大学のチャールズ・メリアム(1874~1953)は1903年に『アメリカ政治思想史(A History of American Political Theories)』でアメリカで憲法が制定されたことは、当時の政治状況を踏まえると進歩的、革新的な出来事であったとはいえず、むしろ行き過ぎた革命的な運動を抑え込む反動的な出来事であったという解釈を打ち出しています。
ビアードも、アメリカの憲法が無条件に統合の象徴であったと見なすことに反対していますが、メリアムよりも経済的な利害関係を基礎にした解釈を提示しました。ビアードは、政治的選好は経済的利害に由来するものであり、それぞれの人々が何によって生計を立てているかによって、その政治的立場が決まると主張しています。
「近代社会では、程度も種類も多様な財産所有が必然的に存在する。党派の信条や「主義・主張」というものは、さまざまな種類の財産所有が作用して、その所有者の心に起こる感情とか意見とかから生じるものである。近代政府の根底には、財産を基礎とする階級や集団の区別が横たわっているのである。そして政治と憲法とは、当然、これら競いあう利益群の反映なのである」(邦訳、51-2頁)
ビアードは、このような視点からアメリカの憲法制定会議で起きた政治対立を分析しました。アメリカ独立戦争(1775~1783)が終結し、イギリスから独立することに成功したとき、アメリカは厳密な意味で1か国の国家として統合されてはおらず、13の邦が緩やかな連合を形成していたにすぎませんでした(1781年発行の連合規約)。連合規約によれば、アメリカは主権を有する各邦の恒久的な同盟であり、連合会議には対外関係に関する権限が認められていましたが、課税権は認められていなかったので、国家の経営に必要な財源は各邦が出す拠出金に依存している状態でした。
ビアードが注目したのは、アメリカ独立戦争で多額の戦債、つまりを戦争を遂行するために必要な資金を得るために発行された公債を購入していた人々が、アメリカを統一した国家にするために、憲法の制定を強く主張していたことです。『合衆国憲法の経済的解釈』では、憲法制定者がどのような資産を持っていたのかを一人ずつ詳しく調べ上げているのですが、その中で注目すべき一人がアメリカの初代大統領に就任したジョージ・ワシントン(1732~1799)です。
1799年に作成されたワシントンの遺言状に付された財産目録によると、バージニアだけに限定してもワシントンが保有していた所有地は3万5000エーカー以上あったことが確認できます。それ以外にも、メリーランドに1119エーカー、ペンシルバニアに234エーカー、ニューヨークに1000エーカー、北西部準州に3051エーカー、ケンタッキーに5000エーカーの土地を持っていました。さらに、後に首都が置かれることになるワシントンに1万9132ドルの資産があり、アレクサンドリア(4000ドル)、ウィンチェスター(400ドル)、バース(800ドル)にも資産があったことが分かります。(同上、145頁)。
これ以外にもワシントンは債権、株式、奴隷、家畜を所有し、控え目に見積っても、財産の総額は時価で53万ドルになっただろうとビアードは推計しています。これほどの巨額の資産を保有していたからこそ、ワシントンは独立戦争で大陸軍の総司令官を無報酬で務めることができたのでしょう。また6万4355ドル30セントという戦費を個人的に立て替えることもできました(同上、146頁)。したがって、ワシントンとしては戦後に自分の戦債の資産価値を適正に保ち、利払いと償還を履行させるために、連邦政府を設立することが有利であったといえます。ビアードが調査したところ、ワシントンはバージニア立法会議が独断で実施した紙幣の発行の影響で巨額の経済的な損失を被っており、憲法制定会議に出席した当時は2年にわたって税金を滞納せざるを得なかったようです(同上)。
各邦が無秩序に紙幣を発行し、貨幣の不安定化でさらに損失を出さないためにも、憲法の制定で強力な連邦政府を樹立することはワシントンの資産運用にとって大きな課題であったと考えられます。さらに、ワシントンは西部辺境の開拓事業にも手を出しており、多額の投資を行っていたので、憲法の制定により連邦政府を樹立し、国境地帯の防衛を強化することができれば、それも自身の不動産の価値を高めることに繋がると期待できたでしょう。
憲法制定会議で連邦政府の樹立に強く反対した政治家にジョージ・メイソン(1725~1792)という人物がいます。彼もワシントンと同じくバージニアの出身ですが、彼の資産を調べると内訳がずいぶんと異なっています。彼はケンタッキーに6000エーカーの不動産を所有しており、奴隷300人、5万ドル以上の動産、帳簿に記録された債権だけで3万ドルを保有していたことが確認できます(同上、133頁)。
注目すべきは、彼の所有する動産にほとんど戦債が見当たらないことであり、財務省の記録と突き合わせてみても、3分利付き公債、6分利付き公債で合計数百ドル程度の少額しか登録されていないことが判明しました。したがって、メイソンの経済的利害の特性を踏まえれば、憲法制定によって強力な連邦政府が樹立されたとしても、それが彼に直接的に利益をもたらすことがなく、むしろ新たに連邦政府から課税される恐れがありました。
メイソン自身が、強力な連邦国家を樹立することに対して恐れを抱いていることを認めています。彼は次のように述べています。
「わたしはノーザンネックの一住民として、個人的な危険にさらされている。当地方の住民は連邦裁判所の権力によって、所有地に免役地代を支払わねばならなくなるだろう」(同上、134頁)
ここでメイソンが述べている免役地代への恐れとは、不動産に対する課税に対する懸念でした。「メイソンは、彼の合衆国憲法に反対する理由の一つに、土地財産への利害がかかわっていることを率直に認め」ていました(同上、133頁)。ビアードは、このような調査を踏まえながら、アメリカ憲法で連邦政府に付与された権限に工夫が凝らされていたと論じています。
つまり、連邦政府には課税権と徴税権が付与されることになりましたが、奴隷人口の5分の3を加えて計算した人口に比例して税額を各州に割り当てることが規定されています。もし、奴隷の人口を度外視していれば、都市化が進んで人口密度が高まっていた州が結託し、多数の奴隷を使った農業が盛んな州に多額の直接税を押し付けることが可能となったでしょう。しかし、奴隷の人口を税額の割り当て計算に組み入れさせることによって、都市化があまり進んでおらず、人口が相対的に少ない南部諸州は税負担を押し付けられることを防ぐことができます。
さらにビアードは、アメリカ憲法の内容を注意深く研究すると、新国家の収入源として重視されていたのは直接税ではなく、間接税とされていたことが分かるとも指摘しています。この間接税というのは消費税のことを指しており、一般の消費者に税負担を配分することになりました。
「大半の邦で直接税が収入源の大部分を占めるかぎり、連合会議の要求は過酷と感じられ、頑強な抵抗を受けたのである。ところが新体制のもとでは、国会がそれ自体の裁量で課税する権限を与えられていたとはいうものの、憲法作成者が国家支出のほとんど全額を消費者に押し付けようと考えたことは明白である。人口を基礎にして直接税を割りあてる規定から考えて、直接税は、間接税が予定の収入に達しなかったときの最後の手段として考えられたことが明白であろう」(同上、167頁)
憲法制定会議が開かれた1787年のアメリカ社会では、土地を所有しておらず、あるいは女性であるという理由から参政権を持たない人々が数多くいました。憲法制定会議において、彼らは富裕層に簡単に買収され、自分の票を売るので、投票権を与えるべきではない存在だと見なされており、政治的にはまったく無力でした。不動産所有者が課税されることを嫌って憲法の制定に反対したとき、合意を形成する上で別の課税対象者として一般の消費者が選ばれたことには必然性がありました。ビアードが指摘しているように、アメリカの小農民は各地で憲法制定に反対する運動を展開しましたが(同上、229頁)、成功することはありませんでした。
結論において、ビアードは次のようにアメリカ憲法を評価しています。
「合衆国憲法なるものは、根本的な私有財産権が政府に潜航するものであって、人民による多数決原理の範囲のかなたにあるという考え方にたった、一つの経済的文章なのである。
記録から見れば、連邦憲法会議の代表たちの主力が、財産が憲法のなかで特別に保護される地位を占めるべきだとする主張を、承認したことがわかる。
合衆国憲法の批准にあたって、成年男子の約4分の3が、無関心のためにか、あるいは財産資格によって選挙権を排除されたためにか、そのいずれかによって邦批准会議代表の選挙から絶たれてしまい、憲法問題に意思表示をできなかったのである。
合衆国憲法は、おそらく成年男子の6分の1そこそこの投票によって批准されたのである」(同上、290-1頁)
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