論文紹介 イスラエルとイランの関係が悪化し続けている理由は何か?
イスラエルとイランとの間では緊張が高まっており、事態を打開する見通しがなかなか立っていません。その主な原因は安全保障上の対立であり、イランが推し進める核兵器の開発と中東における勢力の拡大は、イスラエルにとって安全保障上の脅威と受け止められています。しかし、両国の外交関係を振り返れば、最初から対立していたわけではありませんでした。その対立の原因を理解する上で、その外交史を理解することが有益であると思います。
Marta Furlan (2022) Israeli-Iranian relations: past friendship, current hostility, Israel Affairs, 28:2, 170-183, DOI: 10.1080/13537121.2022.2041304
かつてイスラエルはイランとの外交関係を強化しようと真剣に取り組んでいました。これはイスラエルが建国した直後から隣国との関係が悪く、軍事的な脅威に悩まされていたためです。
1948年から1949年まで続いた第一次中東戦争の経験から、イスラエルはエジプトやシリアなど敵対的なアラブ諸国に取り囲まれている状態から脱却する必要があると考えていました。そこでイスラエルのダヴィド・ベン・グリオン首相が注目したのが中東各地の非アラブ民族、非イスラム教徒の存在であり、そこには具体的にはトルコ人、クルド人、ベルベル人、エチオピア人、そしてイラン人が含まれていました。
当時、イランを支配していたモハンマド・レザー・パフラヴィー皇帝は、ベン・グリオン政権と共通の利害を認識しており、特にエジプトやイラクを中心に支持を広げていたアラブ民族の国際的な連帯を目指す汎アラブ主義を警戒していました。イスラエルとイランは、ソ連の勢力が拡大することに対する懸念も共有していただけでなく、イランはイスラエルが経済開発を推進するために必要な石油を供給することができました。
両国のエネルギー貿易は1950年代から1960年代まで拡大を続け、1967年の第三次中東戦争の後でイスラエルはイランとの間にパイプラインを敷設する共同事業を提案し、1968年には事業主体となるエイラート・アシュケロン・パイプライン会社が設立されています。イラクの北部地域には、非アラブ民族のクルド人が多数居住しているのですが、当時のイスラエルはイランの領土を通じてクルドの武装勢力の活動を軍事的に支援することができました。イランの側では、イスラエルとアメリカの外交関係に着目し、アメリカから技術的、経済的な援助を引き出すために、イスラエルとの友好関係を活用しようとしました。両国の交流は次第に民間でも活発になり、イスラエルの顧問はイランの国内で農業の支援に従事していました。
イスラエルとイランの友好関係は、1979年のイラン革命で突如として崩れ去りました。その体制変動があまりにも急激に進んだことから、さまざまな事件が発生しているのですが、新たに確立された新体制の下では、旧体制の下で構築されたイスラエルとの関係がイスラームからの逸脱であるとされ、反ユダヤ主義のイデオロギーが採用されました。イランの体制で最も強く敵視されたのはアメリカでしたが、イスラエルもパレスチナのイスラム教徒を抑圧する違法な占領者として敵視されました。イラン革命から数週間でイスラエルとイランの関係は失われました。
イスラエルとイランの関係が悪化したことは、意外なところからイスラエルの安全保障に影響を及ぼすことになりました。パレスチナの解放を目指し、レバノンに根拠地を置いてイスラエルに対する武装闘争を続けていたパレスチナ解放機構の脅威を取り除くため、1982年にイスラエルはレバノンに軍隊を送り込みました(詳細はレバノン内戦を参照)。このとき、イスラエル軍の占領地での抵抗を目的に創設された武装勢力がヒズボラでした。ヒズボラの首脳部はイランの軍事援助の下で武装化を進め、イスラム教のシーア派の信徒を取り込んで勢力を拡大していきました。(ヒズボラがいかにして軍事組織として能力を向上させてきたのかに関しては、非国家主体の戦い方は国家と同じものになる場合があるとの研究報告 『非国家戦争(Nonstate Warfare)』の文献紹介を参照してください)
2000年にイスラエルは軍隊をレバノンから撤退させていますが、ヒズボラはその地域を実効支配して拠点を構築し、イスラエルの北部に対して繰り返しミサイル攻撃を加えており、大きな脅威を及ぼし続けています。イスラエルがイランを敵視する理由は、レバノンにおけるヒズボラに対する援助だけが理由ではありません。イランは1980年から1988年まで続いたイラン・イラク戦争を通じて軍備の拡張を進めていましたが、通常兵器だけでなく、核兵器の研究開発にも関心を寄せるようになりました。すでにイランは原子力の平和利用のためにアメリカの支援を受けて研究開発が行われていた時期があったので、研究開発はまったくのゼロから出発したわけではありませんでした。
1980年代の半ばまでにイランは核技術の研究開発に取り組み始め、その範囲は次第に拡大していきました。イランは平和利用を目的としていると主張しましたが、イスラエルはイランが核兵器を取得する事態を懸念し、イスラエルがイランに武力を行使する事態を未然に防ぐために欧米は仲介外交に乗り出しました。
著者は、イランの核問題をめぐる外交交渉の経緯に関しては簡潔に言及しているだけですが、その経過は非常に複雑なものです。ここで重要なポイントは、イスラエルが国際社会の外交努力はかえってイランに利するばかりであるという立場をとってきたということです。2015年にアメリカ、イギリス、フランス、中国、ロシア、ドイツ、イランが合意に至った包括的共同行動計画(Joint Comprehensive Plan of Action, JCPOA)の内容について、イスラエルはイランに有利な抜け穴があり、核開発の試みを阻止することができないとして、合意の履行に反対しました。
イスラエルはアメリカに対する説得を続け、2018年にアメリカがJCPOAから離脱することを促しました。著者は、当時のアメリカの政策決定にイスラエルがどれほど実質的な影響を及ぼしていたのかという点に関してははっきりしないと述べていますが、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相がアメリカのドナルド・トランプ大統領に対して個人的に強く働きかけていたことを指摘しています。この点に関しては今後の研究が待たれるところでしょう。
このような交渉を続ける中でも、イランはイラクとシリアで発生した内戦に対して関与を深め、自らの勢力の拡大を密かに続けていました。イスラエルは、レバノンに根拠地を置くヒズボラが大量のミサイルとロケットを保有するようになり、自国の領土に攻撃を加える事態に強い危機感を持っていました。イランがイラクやシリアで新たな根拠地を確保することを防ぐため、イスラエルはエアパワーを行使し、イランが支援する武装勢力や特殊作戦部隊を攻撃するようになりました。著者が直接的に言及しているのは、2019年にイラクのシーア派で組織された武装勢力の連合体である人民動員隊(Hashd al-Shaabi)の武器庫に対する攻撃と、レバノンのベイルートで運営されていたヒズボラの工場設備に対する攻撃の事例です。2012年から2017年までの5年間でイスラエルは合計100回以上の攻撃を行っているので、これら二つの事例はごく一部にすぎません。
ただ、このようなイスラエルの武力行使は時としてエスカレーションの兆しを見せる場合もありました。2019年9月にはイランの国外の秘密工作を専門に遂行するイスラム革命防衛隊の特殊作戦部隊であるコッズ部隊の指揮官がイスラエル軍の攻撃によって殺害されるという出来事が起きていますが、その直後にシリアのダマスカスの郊外からイスラエルに対してロケット弾を使用した攻撃が行われています。
最近のイスラエルとイランの関係を理解する上でもう一つ重要な側面として、ロシアとの関係を挙げることができます。2011年にシリアで内戦が勃発したとき、シリアは反体制派の武力に対抗するため、ロシアに軍事的援助を求めました。ロシア軍は2015年にシリアに海上部隊、航空部隊を展開し、戦闘に参加するようになりました。ロシアはシリアの体制変動を防止することに関心があり、イランにとってもシリアの現体制を擁護した方が有利であると考えたので、両国はシリア内戦で共存関係にありました。シリアにおけるイランの勢力は、シリアの要請に基づくものであり、法的に問題がないというのがロシアの立場であり、これは2019年6月にエルサレムでアメリカ、ロシア、イスラエルの実務者会談が開かれたときにも主張されています。ロシアはイスラエルとの関係が損なわれる程度を慎重に限定しようとしていると著者は指摘していますが、2018年9月にイスラエルの空爆によってシリアで活動していたロシア軍の航空機が撃墜され、乗組員が全員死亡したときには、シリアに地対空ミサイルを提供し、イスラエルの関係修復の試みを拒絶したことも報告されています。
最後に、最近のイスラエルとイランの関係が急激に悪化している状況についても触れておきます。アメリカがJCPOAから離脱したことはすでに述べましたが、イランはこの決定を受けて核開発の再開を宣言しました。注目すべきは、ウランの濃縮が進展していることであり、イスラエルはイランに対する秘密工作を強化していると見られています。2020年6月ではパルチンの軍事施設の付近で何らかの原因による大規模な爆発が起こり、その数週間後にはナタンズにあるウランの濃縮プラントで爆発と火災が発生しました。2021年4月にナタンズでは再び大規模な爆発が発生し、濃縮プラントに損傷が発生しました。2か月後の6月にイランで核開発に貢献してきた物理学者のモフセン・ファクリザデが何者かによって暗殺されていることも見過ごせない出来事です。
イスラエルは、イランを脅威として認識しているアラブ諸国との外交関係の構築にも動いており、2020年9月にイスラエル、アラブ首長国連邦、バーレーンの国交を正常化するアブラハム合意(Abraham Accords)を取りまとめました。これはアメリカの仲介によるものであり、アメリカの同盟国であるサウジアラビアも、イスラエルとの安全保障協力を強化する動きを示しています。当然のことながら、このような動きにイランは反発しており、改めてイスラエルに対する敵対的な姿勢をとっています。このような歴史的な経緯を踏まえ、著者はイランが核兵器を取得したときには、イスラエルとイランの関係がさらに悪化し、急激にエスカレーションが進む危険があることを指摘しています。