何者かになるなんて
朝井リョウさんの「何者」は未読だが、あの作品は新卒時の就活がテーマになっている。
大学3、4年時の就活を思い返すと、まさにこの言葉が当てはまると感じる。
文学部で好きな漫画、映画、小説に触れながらブックオフでアルバイトして稼いだお金で好きな服を買ったり美容院に無駄にお金をかけたりしていただけの自分を、急に何者かにしなければならない作業、それが就活。
しかも昨今では最初に勤めた会社に一生骨を埋めるわけでもない。それは分かっているのに、ここで失敗したら二度と立ち直れないと言わんばかりの勢いで、会社が求める人物像に迎合し、それっぽいことを話していく。
そもそも、たった数ヶ月の間で自己流の業種研究、企業研究をしたところで、社会の一部分すら理解できないだろう。表に出る情報など印象操作が施されているし、掲示板や口コミもアテにならない。なにせ、字面では分からない部分が多すぎる。
まず職歴のない大学生の時点で「自分はこういう者です!」と何も語れないのが当然で、だから学歴と外見で評価されて当然だ。全員黒いスーツに同じような髪型をしているのはそれを暗に許可しているということ。ここでまず「社会とは何か」を痛感したらいい。フィルター社会。自分が身を委ねようとしている社会のその浅はかさを思い知り、「さて、どうやって最初に入った会社を踏み台にしてやろうか」くらいの頭で就活をしたらいい。会社など、どうせ皆辞めるのだから。
大手に入れば給料ベースも高ければ社会的地位も得られる。何よりかけがえのない職歴が手に入る。日本の企業なんて老いていくばかりで今更注目もされなければ成長性も見込めないのだから、適当でいい。自身に学歴と外見の良さがあるなら入ってうまくその権利を使ったら良い。
大手に入れなくても全く問題はない。ブラックでしこたま社会の黒さを知り、バネにしたら良い。二度と使われてたまるか、と。しかしここで心身の支障をきたすと辛い。ヘタをすると人生の大半を療養に充てることになる。自身が壊れる前に会社を壊したら良い。会社なんて壊していい。
大切なことはいろいろあるけれど、自分が自分でいられるなら好きな仕事でなくてもいいし、やりたいわけじゃなくても心地良いならそれでいいと思う。
好きなことをしてなければ自分でいられないなら、好きなことをして欲しい。
何者になればいいか、それは自分になることを表す。
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