虎さんの絶望
自分が単なる中の上程度の学力だと知ったのは小学3年生の2月だった。
9歳の私は60点くらいしか取れなかった算数の答案を見てただ泣いた。
幼稚園の頃から、何となく新しい物事を知るのが好きだった。
年長の時に初めて勉強のようなことを授業でやった時、すごく背伸びした気持ちになってワクワクした。
東京の下町で過ごした小学1、2年生の時も、授業の内容を理解してサッサと習得し、周りの子に教えるのが楽しかった。
それなりに目立つことが好きだったし、食が細い(給食を毎回食べ切れなかった)のと運動が苦手、さらには特段可愛いと言われる容姿ではなかったのもあり、それらの弱点をカバーできるのは自分の理解力やリーダーシップ性くらいだったのだ。
今思えば、年齢が1ケタの頃から何かと周りからどう見られるのかを気にしていたように思う。よく見せたかった。なぜその点に意識が行くようになったのかはよく分からない。親が口うるさいタイプだったわけでもないので、おそらく元からの性質だ。
しかし、学力も早い段階で天井を突きつけられてしまった。埼玉に越してきてから通うことになった南浦和の四谷大塚。私のモチベーションは、得意な勉強をもっと伸ばせるということと、女子校に行けること。小学3年性の終わりに受けた入室テストの結果は国算ともに60点くらいで、何が起きたかよく分からなかった。ただ、それが偏差値53程度だということで、それがさらに中の上程度だというのも聞かされた。何を意味するのかは当時は理解できていなかったが、自分が大して賢くないことだけは大変よく分かった。
自分には特に秀でたものがない、ろくに価値のない人間なのだから大人しく過ごしていろ、しゃしゃり出るな、目立たない存在になれ。言葉は違えど、私は小学5年生の時に自分の手帳にこのようなことを書き記したことを覚えている。井の中の蛙は何歳までやるのが成長に際して適切だったのだろう。少なくとも、9歳というのは早すぎたと感じる。戦意を喪失してろくに頑張れなかったという結果があるからだ。
さらには、大人になって他者と深いコミュニケーションをする場面になっても、何かと「あの人は私を馬鹿にしている」と激情しがちであった。異性との交際関係はもちろん、時折女の子の友人に対してもそれを理由に絶縁した。
まもなく33歳を迎える今、私の中の虎(山月記…)が暴れる機会はぐんと減ったが、能力にまつわる評価を目にしたり耳にしたりすると、感情が壊れがちだ。これはトラウマなのだろうか。トラだけに🐯