❖不法投棄は幾重もの罪❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2022年2月7日)
(長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を)
◆不法投棄は幾重もの罪◆
荒川の近くを散歩していた。鉄橋の下は、金網で囲まれたデッドスペースになっていた。
車道の脇に細い歩道があるので、人の往来がないわけではないが、夜などはほとんど通る人がいないのだろう。
その隙をついて、このデッドスペースにゴミを捨てる人が後を絶たず、無数のゴミが積み重なっていた。
不法投棄は当然のことながら罪である。廃棄物処理法によれば、第25条で5年以下の懲役か1000万円以下の罰金、またはその両方の罰則が課せられることになっている。
これは「不法投棄という行為自体に対する『行いの罪』」を問うものである。しかし不法投棄という行為は、無意識とか反射的に行われるものとは考えられない。
ということは、不法投棄を実際にした人は、「不法投棄してしまおうかなという『思いの罪』」をその前段階で犯していることになる。
しかし、『思いの罪』を犯してしまったとしても、すぐに実行に移るものではなく、その前に社会的に許されないという道徳的なブレーキが心の中で働くはずである。大抵の人はこの時点でブレーキが正しく機能し、実際に不法投棄が行われることはない。
その際、「バレなきゃいいや」とか「大丈夫、大丈夫」といった感覚によって、ブレーキが正しく機能しないと、実際に不法投棄が行われる。それは「ブレーキをかけるべきところなのに、かけなかった」わけで、「為すべきこと為さない」という『怠りの罪』と捉えることができる。
これら『行い、思い、怠りの罪』は、いずれもキリスト教に関わる罪で、ミサにおける回心の祈りの中で、罪の赦しを求めるものである。
回心の祈りの式文は次の通りである。
「兄弟の皆さんに告白します。わたしは、思い、ことば、行い、怠りによってたびたび罪を犯しました。聖母マリア、すべての天使と聖人、そして兄弟の皆さん、罪深いわたしのために神に祈ってください。」
キリスト教においては、このように様々な類型の罪が示され、その告戒が行われる。そのうち『行いの罪』は先程述べたように、産業廃棄物法などで罰せられるが、『思いの罪』を罰する法律はない。
私が敬愛するマンガ『家栽の人』でも次のようなセリフでそのことに触れている。
「心の中の出来事を裁く法律はありませんよ。報いが必要なのは本当の罪だけです。その人が一生罪を持ち歩かなくていいように」
また『怠りの罪』も保護責任者遺棄罪のような不作為犯は処罰対象になるものの、今回のような「心のブレーキをかけなかったこと」はそれには該当しない。だから、ブレーキがかからずゴミを不法投棄しようと鉄橋の下まで持っていったが、人がいたので諦めて引き返す途中、警察に会って問い詰められ、不法投棄するつもりでしたと言っても、それを罪に問うことはできないだろう。
ただ法律で罰せられないことが、そのまま正しいということにはならない。やはり、道徳的に不法投棄は良くないと思ったり、やめておこうとブレーキをかけられたりすることは大切な精神性だと思う。
だから『思いの罪』や『怠りの罪』は、法律で罰せられかどうかの問題ではなく、道徳の問題として重要であり、正義の実現にとってどちらも欠かせない要素であるとヘーゲルも主張している。さらに、ヘーゲルは法と道徳が止揚されると、人倫という高次の秩序・正義に至ると述べている。
このように考えると、不法投棄は単一の罪と片づけることはできず、様々な罪が重なり合っていることになる。
この幾重に重なる罪の中には、次のような罪もある。
それが「不法投棄物を包んでいるビニールなどが破れて川に入り、いつしか海に達し、海洋プラスチックゴミを増やす罪」や「部品が風化・劣化して細かくなり、マイクロプラスチックを増やす罪」である。
以前の投稿でもSDGsのゴールの一つである「12つくる責任つかう責任」について触れたが、英語表記では「Goal 12; Responsible Production and Consumption」である。それを忠実に訳すと、「責任ある消費」となり、それは購入や使用の段階だけでなく、使い終わりについても責任が関わってくるはずである。だから不法投棄のように、どこかに放置してそのあとの影響について目を背ける姿勢は、完全に責任を放棄した消費と見做されるべきである。
ゴール12のターゲット4は、「2020年までに、合意された国際的な枠組みに従い、製品ライフサイクルを通じ、環境上適正な化学物質や全ての廃棄物の管理を実現し、人の健康や環境への悪影響を最小化するため、化学物質や廃棄物の大気、水、土壌への放出を大幅に削減する。」となっており、もう2021年だが、不法投棄はこのターゲットから考えても許されるものではない。
しかし単に罰則強化するだけでは、「バレなきゃ大丈夫」という『思いの罪』や『怠りの罪』の解決にはならないので、物を大切に扱うということは捨て方までを含めたものであるという啓蒙が必要だと思う。
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