◆(観+洞+推)察・・・シーン1◆ まいに知・あらび基・おもいつ記(2023年1月2日)
新年スタートということと、フライトまでまだ2時間あるものの出発ゲート前まで来てしまいやることがないことから、実験的にもう一つのシリーズもスタートさせてみます。こちらは独立シリーズではなく、まいに知・あらび基・おもいつ記の中の派生的なものです。こちらの探究対象は「ヒト」です。
今日の午前中に投稿した新シリーズ【SEK「AI」SEKI=世界✕解析=セカ「愛」セキ】は、「モノ」や「コト」を探究対象としているので、2つの新シリーズは補い合う関係と言えるかもしれません。
日常のヒトのやり取りを「観察」して探究するための素材・刺激を受容し、本質的な部分まで「洞察」した上で、その結果を「推察」を織り交ぜながら、「七つの大罪」レーダーチャートで「見える化」してみようと思います。継続できるように頑張ります。
<シーン1>・・・サンマルクで見た「ちぐはぐ」
先日忘年会で立ち寄った上野。かなり早めに着いたので、集合時間までサンマルクへ。
私はいつも通りの「チョコクロ+アイスコーヒー」。まだギリギリ11時前だったのでモーニングセット扱い。
しばらくして、別のお客が入ってきた。
入店早々に「モーニング『まだ』やってる?」というセリフ。
店員は「はい」と答える。
今度は「パンは『もう』これしかないの?」というセリフ。
店員は今度も「はい」と答える。
すると「なんだじゃあいいや」というセリフを吐き捨てて出ていった。
私は不思議に思った。最初のセリフで、モーニングが「そろそろ終わる」という認識はあったと思う。それにも関わらず、「これしかないのか」という質問なのだが、モーニングが終わりそうならば、モーニング対象のパンも少なくなるのは当たり前ではないだろうか。
その認識があるはずなのに、そのお客はパンが少ないことを理由に去っていった。
一番の要因は、食べたいパンがないという欲(強欲)によるものだろう。もちろん食に関わるから暴食も大きな要因だろう。あとは、自分の思い通りにならない事実を受け止めたくないというプライド、そして商品が充実していないことに対する怒りもあるように思えた。
頭(理性)では「モーニングが終わりに近い=対象パンが少ない」が分かっているはずなのに、心(情念)はそれを素直に受け止められないという、頭と心の「ちぐはぐ」がそこにはあった。そして、そのお客は情念を理性でコントロールすることはできずに、逆に理性が情念に引きずられるという「理性の受動」となっていた。情念はギリシア語では「パトス」、そこから理性が情念に支配されている状態(受動)は英語の「パッシブ」に繋がっていると言われる。
大陸合理論を展開した哲学者のデカルトは、人間が情念に引きずられることなく、理性によって自分をコントロールするための精神を「高邁の精神」と呼んだ。
あの出来事が起こったとき、残念ながらそこには「高邁の精神」はなかったようだ。自分がお客の立場だったらどういう行動をとっていただろうか。こういった気づきをアンガーコントロールの教材にしてきたいものである。
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