我楽多だらけの製哲書(2024年12月23日:N82) ~自然には生じない自然美の価値に関わる認識とカント~
<探究対象…コラム、朝日、認識論、カント>
最初の写真は、今日の【絵・咲く・文woええ作文de英作文】シリーズでアップしたものです。
この日の朝日を異なる位置から撮影してみましたが、どれも美しさを越えて、神々しさすら感じるものとなりました。その光景がとても神々しく見えるのは、それを見つめている認識の主体の心情が関係していると思います。いかに美しい光景が目の前に広がっていたとしても、迷いや悩みで伏し目がちでいたならば、その光景に気づくチャンスを逸してしまいます。
また浮かない気分でいると、この朝日の美しさについても、眩しくて目がチカチカするとか、日が出きっていないせいで寒いとかという感じで、周囲の様々な事象をネガティブに捉えがちになってしまいます。
「認識が対象に従うのではなく対象が認識に従う」
これはドイツ観念論の祖とされるイマヌエル・カントの言葉とされています。カントはそれまでの哲学・思想で考えられていた「認識と対象の関係性・方向性」を捉え直しました。
カント以前は、認識する側である人間の周囲に広がる世界という認識対象に人間が近づくことで認識が成り立つと考えられていました。それは認識する側の人間が「従」で、認識対象の世界が「主」という関係性になり、人間から世界に向かう認識の方向性になります。
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