❖ガマも杓子も北北西❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2022年2月3日)
(長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を)
◆ガマも杓子も北北西◆
今日は節分である。私が小さな頃には風物詩だった記憶はないが、いつしか2月の節分といえば連想されるものの代表格まで上り詰めたのが「恵方巻」ではないだろうか。
今となっては、日本古来から2月の節分で食べる習慣だったかのような顔をしている。もともとは特定の地域の風習だったようで、それがコンビニなどの全国展開戦略によって広まり、見事に現在の状態になったとされている。
今年は「北北西(北北西微北)」である。この方角に向かって恵方巻を食べると縁起が良いらしい。
縁起がさらに良いものになればということで、色々なものを北北西に並べてみた。
奴(通称、ガマ美)にも客体として並んでもらったが、どうやら主体としても恵方巻と関わりたそうだったので、北北西を向いて恵方巻を食べる雰囲気を味わってもらった。
ここ数年は、コロナの影響もあり声を出したり騒いだりが避けられない「豆まき」はしないという家庭も増えているという調査もある。そうすると、尚更「恵方巻」の地位が相対的に向上することになる。
しかし「恵方巻」の商業的な全国展開に伴う大量生産は、同時に大量廃棄の可能性と結びつき、「フードロス」の象徴にもなっている。
SDGsは持続可能な生活様式を求めるものである。ただそこでは、プラスチックゴミの捨て方を考えたり、エネルギーの使い方を考えたり、食べ物を無駄にしないようにしたりと、なぜか「消費者の行動」ばかりに注目が集まっているような印象がある。
プラスチックも、エネルギーも、食べ物も、「消費者がどう買うか使うか」の前に、「生産者がどう作るか売るか」が必ず存在している。だから、消費者がいかにSDGsを考えた行動をしても、生産者が世の中に商品をバラまくようでは問題は改善しない。
SDGsのゴールの一つとして「12つくる責任つかう責任」がある。英語表記では「Goal 12; Responsible Production and Consumption」であり、「つくる責任」ではなく、「責任ある生産」であることが分かる。一般に知られている日本語表記では、つくること自体より、意識が強調されているように見えしまう。
責任という言葉はもちろん大切である。しかし「責任を持っています」というと、どこか主観的であるし、事後的でもある。さらに政治の世界でよく見かける「責任」という言葉も、抽象的で重みを感じさせてもらえていない。
だから「『とりあえず』つくってしまって、『とりあえず』責任はありますと言っておくが、後のことは実は曖昧」という生産を許してしまっているのではないだろうか。
「つくることに責任を持つ」と「責任を持ってつくる」とは似て非なるものだと私は考えている。
ぜひ「つくる前」に、様々な影響を想像した上で、それらに対する「具体的な責任」を用意できた場合に、「実際のつくる」が開始される社会になってほしいものである。
ただ既に生産されてしまった恵方巻には罪はないので、フードロスを少しでも減らすため、今日は三食とも恵方巻にしようと思う。
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