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▼哲頭 ⇔ 綴美▲(13枚目とプラトン)
(哲学を美で表現するとしたら?美を哲学で解釈するとしたら?そんな思いをコラムにしたくなった。自分の作品も含めた、哲学と美の関係を探究する試み。)
今日の1枚も、学生時代にペイント機能で作った絵である。当時の自分がこの絵につけたタイトルは絵の中にも書かれているが『fifth season』であった。
『fifth season』を日本語にするならば「5番目の季節」くらいの意味になる。季節の区分として一番細かいのは「二十四節気」だろうか。1年365日をおおよそ15日ずつに分けたものである。他にも365に近い数字を24に分け、15ずつのユニットにしたものとして「時差」がある。経度15度ごとに1時間の時差があり、それが一周して24時間つまり1日となる。
季節の話は地球の動きを1年単位で捉えたものであり、時差の話は地球の動きを1日単位で捉えたものである。どちらにしても、ぐるりと1周して最初に戻り、2周目に入っていく。つまり季節も時差も円環の動き。
今日の絵のタイトル『fifth season』に話を戻すと、日本語訳の「5番目の季節」は、「二十四節気」のような細かな区分で考えたときの5番目ということではない。
日本などで一般的に使われる大枠としての季節の区分「四季」に対しての5番目である。四季は春夏秋冬の円循環であり、1番目を春とすると、4番目は冬になって、そのあとは再び春がやってくる。そのため、四季における5番目というのは、本来存在しない季節を指す場合があり、「another season」として異界に関わる表現になることもあるようだ。
私はそのような異界の話としてこの言葉を使ったわけではなかった。
春、夏、秋、冬というように1番目から4番目まで季節が移り変わり、一回りして、ようやく辿り着いた1年間というまとまりの状態を、もしくは季節としての完成形を、高次の季節と捉えてそれに「5番目」という名称をつけたのである。
その名称と画像との繋がりはどこにあるのかというと、さきほど述べた「円環」が関係している。それぞれの季節は異なるものであり、それゆえ始まる段階ではいずれも「ゼロ」である。それは長さも幅も持たない「点」という概念に近い。そうして始まったそれぞれの季節の特徴は時間の経過とともに顕著なものになっていく。それは「点」がある一方向に向かって伸びていき長さをもったり、広がって幅をもったりする状態に似ている。そうして長さや幅という特徴を個性として発揮はしているが、それぞれは独立しているわけではなく、左右の三角形と接したり、重なり合ったりしている。一見すると離れている三角形同士も縁遠くはあるものの、遡ってかんがえると全ての三角形が最初の1点で繋がっているので無関係ではない。
そのように伸びたり広がったりした三角形が全体として円環で繋がっている。中心の1点から眺めると、それは1日という時間の流れを表す時計のようにも見えるし、1年という季節の移り変わりを表す宇宙のようにも見える。
そうして1番目から4番目の季節は前の季節が生み出した成果を引き継ぎながら、それぞれの特徴を発揮している。そんな季節それぞれのパフォーマンスが織り交ぜられて、1年が回り切ったとき、季節は調和された理想的で最高の段階に至る。
そんな季節の調和、1年の調和をまとめたカレンダーの表紙として、私は今日紹介する絵を作成した。これまで【哲頭綴美シリーズ】で何枚か紹介した学生時代の絵は、実はそれぞれどこかの月を表すものであった。それぞれが月を表すので全部で12枚。それらを春夏秋冬の四つの季節に振り分けた。そんな12枚の絵を使ってカレンダーにしようと思ったとき、それらの個性を受け止めるもう1枚の絵の必要性を感じたわけである。
1年というものは、そんな12枚の絵が属する季節の調和によって完成する。4つの季節の調和は高次の状態を生み出す。
このような関係性は古来より考察されてきている。その代表例が古代ギリシアの哲学者プラトンによるものだと思う。プラトンの主著『国家』では、次のような記述がある。
・・・「われわれの国家は、思うに、いやしくもそれが正しい仕方で建設されたとすれば、完全な意味においてすぐれた国家であるはずだ」
「たしかにそうでなければなりません」と彼は言った。
「とすれば明らかに、この国家は、<知恵>があり、<勇気>があり、<節制>をたもち、<正義>をそなえていることになる」・・・
・・・「これで三つのものがわれわれの国家のなかに、見てとられたことになる。さしあたって判断できるかぎりではね。そこで、まだ残っている種類のものは——それによって国家はいっそう完全な徳にあずかることになるわけだが——いったいなんだろう?むろんそれは、<正義>にきまっている」
プラトンはこのように知恵・勇気・節制という徳がそろい、それぞれが調和するとき正義の徳が備わることで、国家は完全な状態になると考えた。これら4つの徳はまとめて「四元徳」と呼ばれるが、4つは並列の関係ではなく、知恵・勇気・節制の3つの徳の調和の先に、さらに高次なものとして正義の徳が実現し、そのとき国家は完全な理想状態になる。
私のカレンダーにも同じメカニズムがあった。12枚の絵が属する4つの季節の調和の先に、さらに高次なものとして「5番目の季節」と呼ぶことができるような高次の状態が成り立つのである。
そのような考えの下で、私はカレンダーの表紙となる絵を描いた。これまで【哲頭綴美シリーズ】の第3回でフロイトの思想と合わせて紹介した『黒という色』という絵は12月、第6回『夕闇と虚構』という絵(カント)は11月、第7回『半堅半脆』という絵(ホッブズ)は8月、第10回『在る』という絵(バークリー)は3月、第11回『祭りの跡』という絵(松尾芭蕉)は9月、第12回『パラダイム』という絵(アインシュタイン)は7月と結びつけたものであった。1月・2月・4月・5月・6月・10月の絵はまだなので、引き続きこのシリーズの中で紹介していこうと思う。
ちなみに今日紹介した絵を描いた大学時代よりも5年ほど前のことであるが、私はその絵とそっくりな形をした木工時計を中学校の美術の授業で作成している。おそらくそのときから、中心の1点を始まりとした放射状の世界に魅力を感じていたのだろう。そしてそれを時計のデザインに採用しようと思ったのは、放射状に伸びたり広がったりする三角形の連なりや重なりが、結局のところ円環によって秩序づけられ、ぐるりと回ると元に戻るものだと感じていたからだと思う。
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